台湾沖航空戦

台湾沖航空戦―T攻撃部隊 陸海軍雷撃隊の死闘 (光人社NF文庫)
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ミッドウェー海戦で大失態を犯した南雲忠一はその後第三艦隊司令長官に就任し、南太平洋海戦でガダルカナル島が陥落してからは中部太平洋方面艦隊司令官に就任。


その間、1942年8月にニューギニアガダルカナル島ヘンダーソン飛行場の二度の奪回作戦の失敗。(一木支隊に川口支隊)がある。
ヘンダーソン飛行場は元々日本軍が建造した飛行場。壊さずに敵アメリカ軍にとられただけでも失態なのに三度の失態。
これもまた、ミッドウェー海戦の二度の兵装転換のような自爆(泣)


さらにニューギニアでは山本五十六ブーゲンビル島での撃墜死。海軍甲事件、1943年4月18日。


南雲忠一はまだ中部太平洋方面艦隊司令官としてサイパンに司令部を置き生きていたが、マリアナ沖海戦の敗戦でサイパンが陥落し、ここで切腹し自決。1944年7月6日。


もはや流れるような自爆と敗戦で、ここら辺で降伏する計画はなかったのか?
結果論、日本はここから特攻、本土空襲、沖縄戦満州北方領土、原爆投下といきつくとこまでいってようやくポツダム宣言を受諾している。

山本五十六の短期決戦の構想はどうなっていたんだろう?


ここら辺だと思うターニングポイント、アメリカ軍にサイパン島という絶対国防圏をとられた日本は、もはやあらゆる方面から敵が来攻した場合を考えなければいけなくなった。
そして陸海空戦力を結集する捷号作戦を1944年7月26日に発令する。


捷一号(フィリピン)
捷二号(台湾、南西諸島)
捷三号(本州、四国、九州)
捷四号(北海道)

の四方面に作戦を区分した。


サイパンを奪還し基地にしたアメリカが次にフィリピンを奪還する予想通り、アメリカ機動部隊はまずは足掛かりに台湾に集結。日本軍基地がある沖縄、台湾に空襲を仕掛けてきた。

ここで起こるのが台湾沖航空戦。

日本は台湾に集結するアメリカ機動部隊殲滅を目的に臨時体制で陸海軍混合の航空隊を組織する。

時は10月で台風のシーズン、まじで台風をあてにしたという神風を信じた鎌倉時代にタイムスリップしたような(泣)発案、T攻撃部隊。(typhoonのT、T-岡田のTじゃない←洒落)
台風の隙に敵を殲滅しようと“まじ”で考えた。発案者→真珠湾奇襲攻撃の計画者でもある軍令部作戦課航空部員、源田実中佐。


しかし、台風は来なかった(泣)


結果、日本は陸軍、海軍共に優秀なパイロットを300人以上、失った(泣)


しかし、小磯国昭首相の大本営発表
「空母を11隻撃沈、8隻撃破」


現実は巡洋艦2隻撃破という、ここでも神国日本とばかりの気の狂った大嘘(隠蔽、過大評価)をつく。

なんと、台湾沖航空戦の戦果は昭和天皇にも過大評価の嘘で上奏したらしい。



おかげでまずはフィリピンへの捷一号作戦、レイテ沖海戦では、またまた敵空母は無いだろう、という楽観的な判断で挑むことになり、陸軍も米軍は敗残兵のみの上陸だろうと従来の首都マニラのあるルソン島地上決戦の方針を転換し、レイテ島地上決戦に切りかえた。移動距離、東京都から岡山県(泣)
そのゴタゴタの間、1944年10月20日、敗残兵どころかアメリカの主力部隊6万人がマッカーサーの汚名返上とばかりやる気満々でレイテ湾に上陸。
マッカーサーの「I shall return」の汚名返上を見事に献上することになる(泣)


もちろん敵空母はいるからな(泣)


海戦ではあの有名な栗田ターン(笑)という前代未聞の“謎”が生じる(笑)

気の狂った発表から前代未聞の“謎”が誕生。

栗田だけを責めてはいかん、栗田だけがおかしいんじゃない。
もう、全てが狂っていた。


そして台湾沖航空戦で優秀なパイロットを失った日本海軍は神風特攻隊という生きた人間が爆弾になるという更なる驚きの前代未聞の荒業を犯すことになる。





やっぱり特攻はイカンよ。




降伏すべき、「ここら辺」のターニングポイントは絶対国防圏の要所、サイパン島の陥落だった。と、思う。


南雲忠一はターニングポイントのアイコンなんだな。