小沢治三郎のマリアナ沖海戦からレイテ沖海戦

マリアナ沖海戦 (歴史群像 太平洋戦史シリーズ Vol. 8)

マリアナ沖海戦でサイパン島という絶対国防圏をとられた日本は、もはやあらゆる方面から敵が来攻した場合を考えなければいけなくなった。
そして陸海空戦力を結集する捷号作戦を1944年7月26日に発令する。

捷一号(フィリピン)
捷二号(台湾、南西諸島)
捷三号(本州、四国、九州)
捷四号(北海道)

の四方面に作戦を区分した。


フィリピンへの「捷一号作戦」で、絶対国防圏を失った日本の連合艦隊は残存戦力の全てをつぎ込む。
もはや宝だろうが何だろうが使い切る捨て切るしかない絶体絶命の境地だった。


そして6日間に渡るレイテ沖海戦


シブヤン海海戦
スリガオ海峡海戦
エンガノ岬沖海戦
サマール沖海戦

レイテ沖海戦とはこの四つの海戦の総称。
しかし捷一号作戦と一号のレイテ沖海戦にて日本海軍の艦隊戦力は消滅する。


マリアナ沖海戦からレイテ沖海戦
この2つの海戦で最も波乱万丈で壮絶だったのは小沢治三郎だろう。

小沢治三郎は太平洋戦争開戦時のマレー沖海戦ではイギリス東洋艦隊、戦艦プリンス・オブ・ウェールズ巡洋戦艦レパルスを撃沈する快進撃を経験している。
そして最後の実戦がレイテ沖海戦の全滅。

すでに名前だけになった最後の連合艦隊司令長官で海軍大将の階級昇格を断り、最終階級は中将のまま。戦後も生きた。

レイテ沖海戦の時は戦艦大和をレイテ湾に突入させる為の囮役で航空機の搭載無い、空っぽの空母瑞鶴に旗艦した。

日本海軍の至宝、空母瑞鶴が空っぽの囮役。
姉妹艦の翔鶴はマリアナ沖海戦で撃沈。

マリアナ沖海戦は小沢が考案したアウトレンジ戦法が全く機能せず、アメリカの秘密兵器マジックヒューズ(VT信管)により飛び立った航空機が全滅。
空母翔鶴も撃沈し、その姉妹艦の瑞鶴で最も危険な囮役の任務を遂行した。


アメリカがマリアナ沖海戦の時、マジックヒューズなる最新兵器を駆使していた事を日本は戦後にようやく知ったとか。


マジックヒューズとは艦にあるレーダーが、周囲何十メートル以内に航空機を探知すると、自動的に信管が作動して爆発するという代物であり人間の直接的な操作は無い。しかも目標に命中せずとも近づくだけで爆発する仕組みになっている、まさに魔法の信管なのだ。


それに対し日本海軍は長大な航続距離に自信を持つ航空機の銀河、月光、雷電、彗星、天山、一式陸攻零戦に爆弾や魚雷を搭載し距離的に離れていて油断しているアメリカ艦隊を爆撃しようとした。
これが小沢治三郎考案のアウトレンジ戦法。

これならイケる!
と、神国日本に神風が吹くか?という思いで小沢は自信を持ったとか。


いや、多分、焼け石に水、だったろうな。
もはや自国の航空機がちょっと足が長いのを頼るしかない、くらいか。

ちょっとしたアイディアでなんとかなるなんて、でももしかしたら




結果、マリアナ七面鳥撃ち

七面鳥扱い(泣)





日本のそうそうたる航空機、銀河、月光、雷電、彗星、天山、一式陸攻零戦が次々と次々と七面鳥を撃ち落とすが如く



面白い程、命中した



無理に重量のある爆弾を搭載したが故に俊敏性を欠いて命中率は更に上がったとか。



小沢治三郎は次のレイテ沖海戦のエンガノ岬沖海戦で囮役としてアメリカの主力艦隊、ハルゼー大将の第38任務部隊を引き付ける作戦には成功した。
レイテ湾はこれで安全だろうに


しかし、大和はレイテ湾に突入しなかった。
栗田健男の謎の反転。


レイテ湾海岸には上陸したてのマッカーサーの司令部があり、まだ環境準備が整っていなかったろう。
マッカーサー本人も海岸付近に居た絶好の機会だったという。
しかし、それが分かったのも戦後で、これもたられば、になる。