ルンガ沖夜戦

MO作戦(ポートモレスビー作戦)

日本はオーストラリアとアメリカのハワイ基地の連携を遮断する為にパプアニューギニアを占領しラバウル基地を建設した。

アメリカ側のミッドウェイ島基地をも攻略しようとしたが、1942年6月、逆に日本の主力空母4隻を失う大打撃を受け致命傷を負ってしまった。(ミッドウェイ海戦。)

そこで日本はソロモン諸島ガダルカナル島に飛行場を建設することで制空権を補おうとした。

と、簡単に考えたが、オーストラリアにはフィリピンから追い出した復讐に燃えるマッカーサー元帥が居る。

ウォッチタワー作戦

という対日反攻作戦を既に発案していた。


そしてガダルカナル島に飛行場が完成した1942年8月7日、その日の夜にはアメリ海兵隊ガダルカナル島に上陸。
瞬殺でその飛行場は
ヘンダーソン飛行場“
と、横文字になってしまった(泣)。

ちなみに日本の設営隊と陸戦隊が建設中に連合国の偵察機が上空に飛んでるのが見えてたとか。
わかってたらしい…

それは完成したら連合国が奪取しに来るな、という予感にはつながらなかったのか?(泣)

 

そして、半年間、日本はせっかく完成させた飛行場を取り返すべく、虚しい戦闘を繰り返す。
そして結局、飛行場を取り返す事が出来ず、撤退することになる。

陸軍から攻略の精鋭部隊、一木支隊918人と後続部隊1500人が送り込まれた。
一木支隊は本来ならミッドウェイ島での攻略を担当するはずだった。

一木支隊は駆逐艦6隻にて8月18日にタイポ岬に上陸。

そしてイル川渡河作戦にて銃剣突撃を行う。

銃剣って…100年前の戦争やん(泣)アメリカの絶大な火力で十字砲火にされほぼ全滅した。

次、川口支隊。
ヘンダーソン飛行場になってしまって制空権が敵に渡り、第二次ソロモン沖海戦で空母や戦艦の艦隊決戦をやったが敗北し、もはや夜間に駆逐艦でひっそり上陸するしかなくなり9月7日にようやく川口支隊5400人の揚陸が完了した。

一木支隊のやり方を勉強し正面からの突撃を避け山岳のムカデ高地から回り飛行場を奪還しようとしたが、やはり連合国の圧倒的火力には勝てず退却。
ムカデ高地とはジャングルや山岳など険しい場所で、それでは戦闘になる前に体力を消耗するよな。
一木支隊のようにほぼ全滅まで被害はなくて済んだが。


そして日本は補給を駆逐艦で敵の目の欺ける夜間にひっそりやるしかなくなった。

「Tokyo Express」

夜間に高速の駆逐艦で一列で輸送するその姿を見て連合国から付けられた蔑称。


小回りがきく駆逐艦から物資を入れたドラム缶に綱を付けて陸上にいる部隊に引っ張って陸上げさせた
味方も
鼠輸送
と、自嘲した。


ガダルカナル島駆逐艦の戦いはサボ島沖海戦とルンガ沖夜戦がある。


1942年11月30日のルンガ沖夜戦


鼠輸送中の第二水雷戦隊、司令官、田中頼三の駆逐艦8隻
旗艦 長波、高波、黒潮親潮、陽炎、巻波、江風、涼風
が連合国のカールトン・ライト少将率いる第67任務部隊に遭遇。
相手は重巡洋艦4隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦6隻。


アメリカのカールトン・ライト少将が乗る旗艦、重巡洋艦ミネアポリスを皮切りに第二水雷戦隊の魚雷が次々と被弾し重巡洋艦ノーザンプトンが撃沈。
ミネアポリス、ペンサコラ、ニューオーリンズ重巡洋艦3隻が大破した。


日本側の被害はたまたまサーチライトが反射し照らされた高波だけに攻撃が一極集中し駆逐艦1隻撃沈。


わずか16分という短い時間での壮絶な水雷攻撃の戦いだった。


16分


日本は酸素魚雷だから爆発威力が凄く、あっという間に熾烈な戦いになり、方がつく。
連合国から
「蒼い殺人者」
と呼ばれ恐れられた。


しかし、攻撃体勢にあたり重量を減らすため物資の入ったドラム缶は投棄しなければなくなり、戦闘には勝ったが輸送作戦は達成出来なかった。

第一次ソロモン沖海戦の三川軍一と反対で一緒だな。
戦には勝ったがアメリカの輸送船だけは攻撃出来ず退却した。

 

田中頼三もルンガ沖夜戦には勝ったが輸送作戦は達成できなかった為、第二水雷戦隊の司令官の職を更迭された。

翌年1943年1月には大本営ガダルカナル島の飛行場を諦め、撤退することを決定する。


この撤退作戦だけは完璧に成功した。



ルンガ沖夜戦