サラワケット越え

MO作戦(ポートモレスビー作戦)

日本はオーストラリアとアメリカのハワイ基地の連携を遮断する為にパプアニューギニアを占領しラバウル基地を建設した。

アメリカ側のミッドウェイ島基地をも攻略しようとしたが、1942年6月、逆に日本の主力空母4隻を失う大打撃を受け致命傷を負ってしまった。(ミッドウェイ海戦。)

そこで日本はソロモン諸島ガダルカナル島に飛行場を建設することで制空権を補おうとした。

と、簡単に考えたが、オーストラリアにはフィリピンから追い出した復讐に燃えるマッカーサー大将が居る。

ウォッチタワー作戦

という対日反攻作戦を既に発案していた。


そしてガダルカナル島に飛行場が完成した1942年8月7日、その日の夜にはアメリ海兵隊ガダルカナル島に上陸。
瞬殺でその飛行場は
ヘンダーソン飛行場“
と、横文字になってしまい、日本は奪回作戦を実行するもアメリカの物量には到底、勝てず半年後に諦めた。


連合国のマッカーサー大将は更に次なる作戦、ラバウル基地攻略のカートホイール作戦を実行。


日本は1942年12月31日の大晦日の御前会議でガダルカナル島撤退を決定するもソロモン方面からニューギニア方面(ラバウル)重視の「転進」を発表する。


「転進」でMO作戦は、ラバウルニューギニアでまだまだ続行されるのだ(泣)。
そしてマッカーサーが次に狙いを定めているのだ。


本来ガダルカナル島へ投入が予定されていた中野英光中将、率いる第51師団をニューギニア重視で新設した第8方面軍(今村均大将)の指揮下、安達二十三中将の第18軍に編入
八十一号作戦という輸送作戦にて、この第51師団は1943年2月28日に要所ラエに向けて司令部のあるラバウル基地から出発し、無事に到着した。


しかし補給船団の第三水雷戦隊、木村昌福少将の駆逐艦8隻がビスマルク海からダンピール海峡に渡航中、連合軍の大規模な攻撃を受け、3月3日に壊滅の大損害を受ける。(ビスマルク海海戦

ダンピール海峡の悲劇
と呼ばれた。

アメリカのこの時の大規模な攻撃は反跳爆撃(skip bombing)という低空から連続して水面に反射させ命中を狙うというもので、日本の艦船の防御力が低いのを見抜き、雷撃よりコストが低い爆弾でも高威力が発揮出来るとした作戦だという。


日本の輸送船団は壊滅し搭載したすべての物資を失い八十一号作戦は第51師団をラエに孤立させる失敗に終わった。


ノルウェー侵攻のヴェーザー演習作戦でドイツのディートル大将の山岳部隊もナルヴィクに孤立したが、こちらはナチス派の味方が多数いたからな。


ラエに孤立した第51師団の方は回りは連合国の敵ばかり。
物資の無い状態で連合国オーストラリア軍に攻撃されラエ・サラモアの戦いに敗北。
退却するにも敵の頑丈な制空権、制海権で海路を使えないと判断。

よって標高4100メートルのサラワケット山系を越えることを決定する。

標高4100メートル………もちろん標高が上がる程、雪が降り極寒になる。山頂零下20度(泣)。


富士山が標高3776メートルだから、更に300メートルは高い。


ナポレオンのアルプス越えなんかあるから(泣)。
サン=ベルナール峠が標高2469メートル。
しかし、ナポレオンは物資をだいぶ持ってたらしい。


ナポレオンのアルプス越え達成の名言
「余の辞書に不可能の文字は無い」

真に受けるなよ。

いや、日本は真に受けてナポレオンのような英雄をアイコンにしたのだ。


北本正路という慶応義塾大学の競争部出身のロサンゼルスオリンピックで10000メートルに出場した国の英雄に実際、サラワケット越えをテストさせた。
ラエに居る第51師団とは逆に北本正路はキアリからラエに向けてサラワケット越えテストを50人で22日間で乗り切った。
そしてラエに居る第51師団と合流し


「やれるでしょう!。」
(余の辞書に不可能の文字は無い)


(泣)


しかし第51師団は3900名に他部隊2100名、海軍の陸戦隊2500名、総勢8500名の大部隊。


9月12日にスタートし、もちろん途中、険しい山岳に栄養失調者やマラリア患者ら多くの落伍者を出した。


サラワケットの山頂はおびただしい湿気と霧の中、熱帯高地特有の湿地帯で泥濘の中に鬼羊歯や丈の低い雑木、苔、名も知れない高山植物が華やかに咲き乱れていたとか。

夜に入ると気温は摂氏0℃近くに冷え込み、集団で凍死した者もいた。

10月末にようやく全員、キアリに到着。約1ヶ月間のうち死者1000人以上。
サラワケット越えを往復した北本正路は更に落伍者の救出活動にも勤しんだ。

 

要所ラエが陥落してもMO作戦は中止されることなく、東部ニューギニアのフィンシュハーフェンに移されることになる。

 

東部ニューギニア戦線は日本兵から

「ジャワは極楽、ビルマは地獄、死んでも帰れぬニューギニア

と言われた。