栗田健男だけじゃなかった(泣) 三川ターン
ミッドウェー海戦で日本は主力空母を4隻も失ったため、井上成美中将の進言でガダルカナル島にルンガ飛行場を建設した。空母がないなら陸地から、と。
1942年8月15日には1個航空戦隊の収容が可能となるはずだった。
しかし、そのガダルカナル島にアメリカ軍が上陸し、建設していた飛行場が、そのままアメリカ海兵隊に奪われて敵の拠点となってしまった。
よって奪還を計画。
取られたモンを急襲で取り返す、その名も
ツラギ殴り込み作戦
これが第一次ソロモン海戦。
指揮官はの第8艦隊の三川軍一中将。
ミッドウェー海戦のおよそ2ヶ月後の1942年、8月8日に行なわれた。
三川軍一、、、美川憲一やろ(笑)
指揮官、三川軍一の座乗したのが重巡洋艦の鳥海。
他は重巡、青葉、加古、衣笠、古鷹。
軽巡、天龍、夕張。
駆逐艦、夕凪
結果は一応、日本の勝ち、とは言われているが、オチがある。
勝敗より夜戦が得意な日本軍、という印象を残す方で重要。
そう、ソロモン海戦は全て夜戦。
空母も飛行場も失ったから敵航空機が飛ばない夜じゃないとやられてしまう。
日本軍は夜の暗闇に吊光弾(ちょうこうだん)やサーチライトで敵艦を索敵し照らした。
ソロモン海戦といえば夜戦のサーチライト
そして、敵の重巡洋艦キャンベラ、ヴィンセンス、クインシー 、アストリアを日本の得意技、酸素魚雷の雷撃戦でバシバシ撃沈。
連合国軍の重巡洋艦6隻のうち4隻を撃沈し、1隻を大破させるという大戦果をあげた。
アメリカ側からしたら
アメリカ海軍、最悪の敗北のひとつ
と、言われた。
しかし
敵の輸送船団を諦めてしまった(泣)
敵空母を恐れて三川軍一司令官も退却、反転を選んでしまった。ミッドウェー海戦の全滅が恐怖心を生んだのか。
実は栗田ターンより先にあった、元祖ダメダメターンは三川ターンだよ(泣)
ガダルカナル島の飛行場はこの後、一木支隊、川口支隊が奪還を狙うが、両軍壊滅する。
この時に最後のトドメ、敵輸送船団を壊滅していれば、結果は変わっていただろう。