ダンケルク撤退作戦とツェルベルス作戦
1940年4月、ヴェーザー演習作戦としてドイツ国防軍がノルウェーに侵攻し、鉄鉱石の資源の要所キルナ近くの不凍港ナルヴィクを抑えた。
しかし、既にナルヴィクは冬戦争でイギリス軍が駐在しておりイギリス海軍と挟まれドイツの上陸部隊は孤立した。
しかし、1940年5月にフランスに侵攻したドイツは連合国軍を窮地に追いやり、連合国軍はダンケルクからドーバー海峡を渡りイギリスに撤退せざるを得なくなる。
1940年5月26日から6月4日に行われた
フランスの海岸都市ダンケルクから338,226人のイギリスおよび連合国の兵士をドーバー海峡を渡りイギリスに撤退させた。
結果、大成功します。
ヒトラーは、ダンケルク撤退作戦の時点ではイギリスと早期講和を考えており、空軍のみで撤退を阻止。
やろうと思えばダンケルクの海岸に追い詰めた連合国軍を装甲部隊で殲滅することが出来た。
たられば、たが、その後の独ソ戦の苦戦を考えたら、先にイギリスを一掃し西部戦線を安泰にしとけば良かったが、ヒトラーはイギリスとは早期講和が出来るものとしか考えなかった。
2017年のクリストファー・ノーラン監督の映画「ダンケルク」でも、その大成功っぷりは描かれている。
ドイツの阻止は空軍のメッサーシュミットとUボートの魚雷しか出てこない。
ドイツの判断の甘い手抜きにより、連合国軍338,226人中、30万人以上と殆どがイギリスに撤退に成功した。
ちなみにイギリスとフランスのドーバー海峡の最短距離は約40kmで船で2時間位で渡れるそうだ。
しかし、ナルヴィクのドイツ国防軍もイギリス海軍がダイナモ作戦に従事する為、包囲から解放されノルウェー占領に至る。
イギリスは、もちろん早期講和なぞする気はないので、後、ドイツはイギリスに手こずる。
ダンケルク撤退の時、やっときゃ、なんのことはなかったのに。
おかげで1940年7月から10月にかけての空軍同士のバトル・オブ・ブリテンではドイツは第二次世界大戦で初めて敗北してしまう。
ここでイギリス空軍に敗北しイギリス海峡の制空権はイギリスのものとなってしまった。
バトル・オブ・ブリテンは映画「空軍大戦略」に詳しい。
ロキシー・ミュージックのファーストアルバムにバトル・オブ・ブリテンの曲がある「The BOB」←Battle of Britainの略
ブライアン・フェリーが第二次世界大戦の、重要な好転を、アバンギャルドに歌ってます。
よってドイツはせっかく占領したフランスの軍港ブレストに軍艦を停泊させることが難しくなった。
制空権をとられ常にイギリス空軍からの空襲に悩まされるからだ。
大西洋で通商破壊作戦を終えた戦艦シャルンホルストと戦艦グナイゼナウは1941年3月下旬にブレスト軍港に到着した。
早速、イギリス空軍は攻撃を開始。
1941年4月6日に戦艦グナイゼナウが魚雷攻撃を受け修理に入る。
7月には戦艦シャルンホルストも重巡洋艦プリンツ・オイゲンも空襲により被弾した。
しかも、先の1941年5月27日にはデンマーク海峡海戦で勝ったも追撃戦でナチスが誇る超弩級戦艦ビスマルクが撃沈されている。
これにはヒトラーも真剣になった。
占領したノルウェーは絶対、維持したいヒトラーは、1942年2月11日から13日のツェルベルス作戦で
(連合国側は「チャンネルダッシュ」と呼ぶ。チャンネル諸島付近をダッシュ=駆け抜けた、という意味。)
戦艦シャルンホルスト
戦艦グナイゼナウ
をノルウェーを牽制出来るバルト海に面したキール軍港に移動する作戦を実施する。
ツェルベルスとはギリシャ神話に出てくる地獄の番犬ケルベロスのドイツ語読みだそう。
ケルベロスは三頭の巨大な犬で尾は竜で、たてがみは蛇なんだそうだ。
かなり気持ち悪い生き物だな。
この三艦ことブレスト艦隊のイメージに合った3つの頭を持つ架空の動物なんだな。
この時、移動手段として、最短距離の直線にドーバー海峡通過をドイツ海軍のレーダー提督は反対した。
モロにイギリスの制空権の手中で機雷もうようよしている。
イギリスを迂回しスカパ・フロー通過の方が、まだマシだとした。
ブレスト軍港に停泊していた
戦艦シャルンホルスト
戦艦グナイゼナウ
はドイツ空軍の護衛と共に、機雷に当たりながら、スピットファイアやソードフィッシュの襲撃を撃墜しながら21時間後、無事にキール軍港に到着した。
しかし、キール軍港に到着するも、やはりイギリス空軍の空襲で、戦艦グナイゼナウは13日後の1942年2月26日に空襲を受けて大破し廃艦となった。
戦艦シャルンホルストはキール軍港から更にノルウェーに避退する最中、翌年1943年12月26日の北岬沖海戦で撃沈された。
プリンツ・オイゲンは同じくノルウェーに避退したが潜水艦に雷撃されて中破。
戦後、水爆実験の標的艦にされた。
イギリス側の裏をかくよな大胆不敵な白昼のドーバー海峡通過だった。
イギリスは自国の優秀なレーダーを過信し、夜間ならまだしも昼間にまさか堂々とドーバー海峡を敵の主力戦艦が通過するとは思わず、昼寝していた?いや、気を抜いてしまいドイツの妨害電波に惑わされたとか。
ヒトラーの突発的な野生の勘は、この通過作戦では当たった。
ヒトラーはツェルベルス作戦の計画の時
「イギリス人というものは、突発的な出来事にまともに対応できるような人種ではない!」
と、ウソぶいて鼓舞したとか(笑)。
しかし、1942年2月15日、まさにチャンネルダッシュと同じ時期にあった日本のシンガポール陥落の時は
「イギリスに三十個師団の援軍を送りたい気分だ。」
今さら、まだイギリスを思いやる(笑)。
1941年12月10日にあったマレー沖海戦では、黄色人種がイギリスの誇る戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃沈したことを嘆いたとか。
マレー沖海戦の半年前に既に戦艦ビスマルクをイギリスに撃沈されてるのに、よく嘆いたよな(笑)。
同盟国の日本に報復してもらった事を感謝しろよ(笑)。
ヒトラーは統合失調症だったらしいが、多分、本当にそうだったんだろうな(笑)。
イギリス人の臨機応変の無さを言うだけあり(笑)作戦も発言もムラがスゴい。
一番、良かったのはダンケルクでイギリスを一掃し、日本と挟撃で独ソ戦、または、北アフリカ戦前とインド洋で挟撃だった。
1941年12月からの日本のマレー侵攻作戦がことごとく成功したのはイギリスはバトル・オブ・ブリテンにより航空機不足となった為で、ダンケルクで一掃してくれてたら、更にイギリスは疲弊していた。
イギリスはイランから独ソ戦の救援物資や石油もソ連に援助していたから、日本が太平洋に行かずインド洋だけ重視なら遮断出来たな。
インドやビルマまで独立させてたんじゃないか?
日独伊三国同盟って、ドイツがソ連を攻めたら日本は自動的にソ連が敵になるが、松岡洋右がわざわざ日ソ不可侵条約を締結してしまって、やれなかった。
逆に日本が真珠湾攻めても、ドイツはアメリカにわざわざ宣戦布告しない限り
自動的にアメリカが敵
には、ならないらしく、なのにわざわざドイツはアメリカに宣戦布告したり、もはやこの噛み合わせの悪さは
大凶(笑)。
イギリスも戦後、植民地を殆ど失い、勝っても疲弊しただけだったが、ならば、アメリカを参戦させずにイギリスを挟撃してれば、枢軸国は勝ったな?
クリストファー・ノーランの映画「ダンケルク」も撤退作戦の現場最高指揮官のケネス・ブラナーが
「祖国だ。」
(祖国イギリスから民間船が、沢山、救援に到着したのが望遠鏡から見えた。)
このセリフが、イギリスの、転機=大吉、を象徴していた。
おかげで苦労するツェルベルス作戦の様子はこのような小説があります。