援蔣ルート遮断の末に
日中戦争の長期化の原因に南方からの補給路、援蔣ルートがあるが読んでそのまま、蔣介石を援助する英米からの補給ルートがあったためだ。
日本は日中戦争の最中、この援蔣ルートを遮断したいがために禁断の南進政策を実行することになった。
そりゃいつまで経っても蒋介石に勝てんよ。
しかし、日本は諦めないでむしろ進軍し、補給路を断つ方を選んで南進した。
時は1939年9月、ナチス•ドイツがポーランドに侵攻し第二次世界大戦が勃発。
ナチスの脅威はイギリスにも及び、イギリスがアジアの植民地にかまけている場合ではない隙にイギリス植民地マレー、ビルマ、香港に侵攻し援蔣ルートを遮断しようと作戦をたてた。南進論だ。
仏印進駐も同じく、1940年6月にナチスがフランスを占領した契機にナチスと足並み揃えて起こした南進政策の軍事行動だ。
先にナチス・ドイツが1936年3月7日にベルギー、フランスとの国境地帯で非武装地帯とされたラインラントに進駐する。
1936年5月にはムッソリーニのイタリアもエチオピアに侵攻し占領。
1938年3月にはナチス・ドイツがオーストリアを併合する。
日本はこのどさくさに呑まれた。
ナチス・ドイツに関してはラインラントは第一次世界大戦の敗北によるベルサイユ条約とロカルノ条約で非武装地帯にされただけで長い歴史ではドイツ領、オーストリアは同じドイツ語を喋るゲルマン民族の国で、オーストリア=ハンガリー帝国もまた、第一次世界大戦の敗戦国でドイツと同じく帝国が解体され疲弊していて同じシンパシーのドイツ語圏ゲルマン民族でナチス・ドイツとの併合は自然に受け入れられた。
映画「サウンドオブミュージック」はアメリカ資本の名作だが、内容はオーストリアがナチス・ドイツに併合され反ナチスの一家が亡命する話で本国オーストリアではヒットせず無視されているらしい。
映画「SAYURI」じゃないが、日本の芸者の話を中国人のチャン•ツィイーが英語で演じたような違和感かも知れん。
ちなみに本来のオーストリアの俳優といえばヘルムート•バーガーとロミー•シュナイダーを彷彿するが、ロミー•シュナイダーの母親でドイツ、バイエルン州出身の大女優のマグダ•シュナイダーはヒトラーのお気に入りでベルヒテスガーデンにも招かれ交流があった。
その時の写真や映像が残っていて、そのせいか娘のロミー・シュナイダーはフランス映画でやたらナチス・ドイツからの被害者の役を演じた。
ヘルムート•バーガーはゲルマン民族の特徴、ブロンドで高身長の理想的な体格をしたいわゆるゲルマン民族の超美青年。
ヒトラーがアーリア人の理想的姿だ、と絶賛しそうな典型的な容姿だな。
イタリア人貴族のルキノ•ヴィスコンティ監督と同性愛関係にあった位、重宝されヴィスコンティの名作の主演を何作か飾った。
バイエルン国王のルートヴィヒ二世の映画「ルートヴィヒ」でロミー•シュナイダーと共演しているが、この映画のルートヴィヒ国王役が彼の一番だな。
ちなみにロミーはプリンセスシシィことオーストリア皇后のエリーザベトを演じている。
まさにベタなオーストリアだ(笑)
ヴィスコンティ監督も絡んで第一次世界大戦迄の独墺伊同盟の匂い。
日本は、大陸ヨーロッパのように隣接して同じ言語、同じ民族、第一次世界大戦の遺恨の元自国領、そーゆう複雑な経緯はないが、空気だけには呑まれた。
ナチス・ドイツが快進撃最中、ナチスと共にバスに乗ろうと陸軍省軍務局長の武藤章、参謀本部第1部長の田中新一で計画を立てていたが、特に田中新一が強硬派だった。
援蔣ルート遮断の為に、北部仏印進駐、日独伊三国同盟、関東軍特種演習、南部仏印進駐、国家総動員体制。
一時、関東軍特種演習と北進論の対ソ連を意識したのに、惜しい(笑)
海軍側だそうだ、対ソ連案を潰したの、予算争いなだけ?(泣)
せっかくの関特演も虚しく、ナチス・ドイツと同盟を組んだ後にやらかした南進政策の南部仏印進駐でとうとうアメリカから対日石油禁輸を宣告され、絶体絶命に陥る。
武藤章は対支一撃論と日中戦争序盤はバリバリだが、対米開戦直前には、やっぱりこれはヤバい、と空気を読んだ。
武藤章は実は対米開戦直前からは石原莞爾のようなまともな空気読める人物に変わっていた。
開戦直前には独ソ戦の戦況からナチス・ドイツの進撃が鈍くなったのを察知し、ソ連の急速な崩壊は無いと判断し南進政策を危ぶんだ。
ソ連は死なない、ナチス・ドイツのが死にそうなのだから、やっぱり北進論だよな。
開戦してからは焦り早期講和を主張したがもはや東條英機を抑える事ならず、そしてあれだけ蜜だった東條英機内閣打倒工作を働き、軍務局長の座を部下の佐藤賢了に奪われ、東條英機の嫌がらせで前線に送られた。
最後はマッカーサーが上陸した後の最悪の前線、フィリピンにまで送られて終戦する。
しかしその武藤章の方が極東国際軍事裁判で絞首刑になり、最後の最後まで鈍感にも強硬だった田中新一は戦犯にも上がらなかった。
海軍の対ソ連政策を潰し南進政策を押した連中も戦犯にされていない。というか、海軍からは戦犯はほとんど出ていない。
この極東国際軍事裁判は理不尽が多く、司令官クラスで現場を知らない松井石根が南京事件の責任、マニラ軍事裁判では山下奉文がマニラ大虐殺の責任をとらされ絞首刑判決となっている。
松井石根も山下奉文も立派な人物で松井石根は漢文、仏教の素養があり、巣鴨プリズンで漢詩を書いたり仏典を読んだり、と過ごしたらしい。
やはり、連合国側は太平洋戦争だけでなく、その由縁の日中戦争から責任を見ていた。そしてナチス・ドイツと呼応した態度を嫌った。
絞首刑判決の7人、東条英機、土肥原賢二、松井石根、武藤章、板垣征四郎、広田弘毅、木村兵太郎、ほとんど日中戦争絡みだ。
日中戦争は陸軍が起こした戦争、だから海軍には甘いのか。
ナチス・ドイツの快進撃に呼応して翻弄されたということだ。
しかし、武藤章は身分も中将と7人の中で一番低く許してやってほしかったが、日中戦争開始時の対支一撃論の態度がよっぽど響いたという事か。