ハプスブルク家の陰謀
ナポレオン戦争でナポレオンと戦ってきたハプスブルク家の神聖ローマ帝国、皇帝フランツ二世。
ナポレオンの後妻になるマリー=ルイーズの父親だ。
フランス革命が終結した後、ナポレオンの大義名分は革命理念をヨーロッパ全土に拡大することだった。
当時、ハプスブルクの領土だったイタリアをフランス革命の余波ナポレオンが襲撃、絶対王政ハプスブルク家との攻防戦が繰り広げられた。
当時のハプスブルク家は神聖ローマ帝国で今の北イタリアの一部、ミラノ、マントーヴァ、パルマ、ピアツェンツァをも領有していた。
フランツ二世もトスカーナ大公国のフィレンツェで誕生。
イタリアはややこしいな、当時、イタリア北部はハプスブルク家が領有してたんだな。
ナポレオンがアルプス越えして、そのハプスブルク家の領土、北イタリアを略奪する。
アルプス越えした英傑は紀元前のハンニバルと8世紀の初代神聖ローマ皇帝カール大帝とナポレオンの3人。
有名な絵画
「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」
あのナポレオンは数あるナポレオンの偶像の中でも最もイケてるものだな。
このアルプス越えで、ハプスブルク家のオーストリア軍の補給の遮断に成功。
補給って戦争に一番、大事なこと。
日本はこの補給路を維持出来ず、太平洋なんて広大な海域を占領したから、後半もたずに、アメリカにドミノ式に反撃された。
ナポレオン戦争の時代から補給の大切さ教えてんのに、山本五十六は何、広大な夢を見たんだ(泣)。
アルプス越えし到着したミラノに入城。
そしてナポレオンの劇的な逆転勝利、マレンゴの戦い。
ナポレオンとハプスブルク家の北イタリアの覇権を決定する天王山だ。
ハプスブルク家は敗戦し、1801年リュネヴィルの和約により北イタリアをナポレオンに差し出すことになった。
ガダルカナル島奪回作戦は凄惨極まりないが、ヨーロッパだとなんだかロマンチック、いや、同じく凄惨だったろ。
アルプス越えも実際は白馬じゃなく騾馬に乗ってハンニバル!カール大帝!と鼓舞しながら頑張ったらしい。
ハプスブルク家は再起を賭けた1805年のアウステルリッツの戦いでも負け、神聖ローマ帝国が解体。
規模が縮小しオーストリア帝国になった。
イタリア人の作曲家ジャコモ・プッチーニの歌劇「トスカ」にマレンゴの戦いが出てくる。
ローマが舞台でヒロインがトスカ。その恋人がナポレオン支持者のカヴァラドッシ。
マレンゴの戦いの誤報による悲劇の話。
ナポレオンを支持したカヴァラドッシはナポリ王国の役人に投獄される。
当時、ローマはナポリ王国に支配されたブルボン王朝系でハプスブルク家と同盟国だった。
その間、マレンゴの戦いでハプスブルク家勝利の報で絶望する。
しかし、それは誤報で実はナポレオンがハプスブルク家を倒したのが本当だった。
ナポリ王国の役人は逆上しカヴァラドッシを処刑してしまった。
せっかくナポレオンが勝利したというのに間一髪の差で処刑されてしまったカヴァラドッシに嘆き、後を追うトスカの悲劇の物語。
1813年、諸国民の戦いでナポレオンをようやく皇帝退位に追い込めた。
ハプスブルク家も神聖ローマ帝国の領土をほぼ回復し、ハプスブルク家の総本山シェーンブルン宮殿で宰相メッテルニヒが議長で支配するウィーン会議でヨーロッパは回ることになる。
そしてワーテルローの戦いで再びナポレオンは負け、ウィーン体制は更に地盤を磐石にする。
マレンゴの戦いとは逆に、ワーテルローはナポレオンが後半、逆転負けする。
この時間差の誤報で国債の逆売りをやって莫大な利益を得たネイサン・ロスチャイルド(神聖ローマ帝国出身のユダヤ人)はナポレオンに対する復讐の陰謀だったのか?
会議は踊る、されど進まず
ウィーン会議は本当に社交パーティーで踊りながらザッハトルテとシャンパン付きの優雅過ぎる怠慢な会議だったと言う。
貴族達が楽して儲ける金融の陰謀なんかいかにも練ってそうだ~
マリー=ルイーズも18歳という若さで父親の宿敵、41歳の中年おやじナポレオンに嫁いで、ただぼーっと過ごしたとは思えない。
策士メッテルニヒが仕組んだ政略結婚。
41歳のナポレオンは老いていき、18歳の娘はどんどん才気煥発に大人になっていくが。