日英同盟と富国強兵

地中海の真珠、マルタ島
マルタ騎士団とは11世紀からある聖ヨハネ騎士団が興りの、中世からの騎士団で主に戦争で負傷した兵士を匿い、治療する病院の役目だった。

ナポレオンがエジプト遠征の足掛かりに、まずマルタ島を6日間で攻略し1798年6月にフランス領とした。

しかし、エジプト遠征の失敗で1800年からマルタ島はイギリス領となった。

第二次世界大戦ではイタリアがまず地中海を制圧し、ナチス・ドイツUボートが多数、潜航する中、枢軸国と連合国イギリス領マルタ島の攻防戦が起こる。

同じ時期に日本はマレー作戦、マレー沖海戦ビルマ占領、セイロン沖海戦とイギリスに連勝している。

なぜ、この破竹の勢いの時に、地中海まで、援軍出さなかったんだか。

それに日本には地中海援軍のスキルもあった。

1917年の第一次世界大戦の時は日本はイギリスと協力してマルタ島を攻防したのだ。

特務艦隊という駆逐艦の艦隊を派遣した。
第一特務艦隊はインド洋を
第二特務艦隊は地中海をイギリスと協力して攻防した。
第一次世界大戦の時は逆だった。


日英同盟


により、日本はイギリスの要請を受け、そして戦勝国となった。


1902年1月30日に調印された日英同盟


日清戦争の日本の勝利にロシア、フランス、ドイツが干渉してきた(三国干渉)。
負けた清国もロシアに戦費、賠償金を借款したり負い目があり、ロシアの言いなりにならざるを得ず、日本もロシアの国力により三国干渉を飲むしかなかった。

そこにイギリスが目を付けた。

クリミア戦争からロシアの不凍港欲しさの南下に悩まされてきたイギリスは、ロシアが今度は極東方面に不凍港を得ようとするのを懸念した。ウラジオストクは既に獲られている。


次は朝鮮半島から日本がヤバい。
イギリスは素早く、日本と日英同盟を締結した。


ロシアの極東への南下政策は女帝エカチェリーナ二世の頃からあった。
日本は江戸時代、老中松平定信の時世。
エカチェリーナ二世の遣日使節でロシア領域に漂流した大黒屋光太夫を伴ったロシア人アダム・ラクスマンが1792年9月24日に北海道の根室に到着するのに始まる。
日本は島国の鎖国根性で、江戸幕府から蝦夷地の松前藩に完全に委任と、のん気だったらしい。
松前藩は、漂流民の帰国の他に通商を求めるラクスマンに陸路からこちらに謁見するよう要求したが、ラクスマンは陸路を嫌がり、松前藩
ならば長崎に行け
と適当にあしらった。
とりあえず、ラクスマンは長崎には寄らずロシアに帰国した。
しかし、1804年にラクスマン松前藩から受けた入港許可証で、今度はロシア人外交官レザノフが長崎に来航。
レザノフも通商を求めたが江戸幕府から、丁重に謁見をあしらわれ、半年、待たされた挙げ句、仕方なくロシアに帰国した。
1804年のロシアはアレクサンドル一世の時世で、皇帝になったナポレオンとの戦争に大忙しの最中だ。


エカチェリーナ二世から、次のパーヴェル一世、次のアレクサンドル一世の時代はフランス革命の勢いからナポレオン・ボナパルトが台頭し、ヨーロッパを席巻する怒号の時期だった。
ロシアもナポレオン戦争に巻き込まれ、極東への南下政策には構っていられなくなった。
ならばロシア遠征とか、江戸幕府にとって良い時間稼ぎだったのか。


鎖国中の江戸幕府は分かっていなかったろうが日本はこの時、危機一髪だったんだな。


ナポレオンはこの時の日本の神風か(笑)。


去年、神奈川県立歴史博物館の特別展「北からの開国」というのがあり、この辺りの勉強になったな。
展示物に、ラクスマン、レザノフ、大黒屋光太夫開明派の蘭学者渡辺華山、鷹見泉石、桂川甫周肖像画や文献などの関連資料があり、特に印象的だったのは

鳥居耀蔵の古文書の達筆ぷり。
祐筆かも知れないが、線の細い神経質な人柄が忍ばれる見事な達筆だった。祐筆だったとしてもそういう字ヅラを好むのが、いかにも、らしい(笑)。

鳥居耀蔵儒学者の四男でとにかく蘭学を嫌う、蛮社の獄をやった妖怪奉行で有名。
時代劇なら「遠山の金さん」のライバルの南町奉行だが、いわゆる幕藩体制


超・保守


線の細い神経質そうな見事な達筆だったのがイメージまんまで印象的だったわ。

韮山代官の江川英龍に宛てた書だったが、江川英龍とは鳥居耀蔵と正反対の人物で、既に韮山反射炉を造り、西洋式の産業技術の導入を積極的に行っていた開明派。

江川英龍韮山代官の図も沢山、展示してあった。

あと印象的だったのが


会沢正志斎の「新論」


鳥居耀蔵の線の細さとは違う、芯の強さを発揮した見事な達筆だった。

会沢正志斎は水戸藩の水戸学の思想家で「新論」で尊王攘夷のための富国強兵を唱えた。

この「新論」に西郷隆盛吉田松陰も感銘し、薩摩藩長州藩明治維新にも影響。
その後、日清戦争、明治外交の日英同盟を経て日露戦争日韓併合、と富国強兵パワーが炸裂する。


その中でも日露戦争の勝利にも効果的だった日英同盟は大きい。
イギリスの思惑通りロシアの南下は抑えられ、ロシアは疲弊した。
日本は韓国を併合し、ロシアの南下への防波堤を更に強化した。

日英同盟第一次世界大戦での勝利も生んだ。

しかし、この富国強兵パワーは第一次世界大戦戦勝国となった時、三国干渉の怨みもあったか

対華二十一か条の要求

という思い上がりも生んだ。
そして1921年11月11日からのワシントン軍縮会議の協議により、日英同盟が破棄される。

代わりにアメリカ、イギリス、フランス、日本の
四カ国条約

日本の日英同盟、富国強兵パワーに危惧したアメリカの巧みな罠だった。


こっから日本はヤバい国に堕ちていきます。


明治維新からの優秀な創業者の、出来の悪いボンボン育ちの二世みたいに、めちゃくちゃな第二次世界大戦をやらかすが
アメリカの危惧は、日本が日英同盟の結晶、日露戦争で勝った時から

オレンジ計画

で懸念されていた。

 

山本五十六は30代の頃にアメリ駐在武官として渡米、その際にハーバード大学にも留学している。
この時にアメリカのオレンジ計画からの対日意識も吸収したろう。
機械製造工場、石油タンクも見学して、輸入に頼るだけの日本では、こりゃ勝てる相手じゃない
とも思っただろう。
国費で山本五十六には身を持って体験させたんだが、その後の真珠湾奇襲攻撃から太平洋戦争、アメリカ攻撃の執念はナゼか凄まじい。


まったく参考文書は無いが、山本五十六アメリカで人種差別にでも合ったのか?
あとは山本五十六スパイ説。
アメリ駐在武官の時にアメリカの諜報員にスカウトされスパイになっていた。
その他、コミンテルンやらロスチャイルドやらフリーメーソンやら(笑)陰謀論が面白おかしくある。

それくらい、山本五十六真珠湾奇襲攻撃は不可思議なことなんだな。

アメリカの国力を目の当たりにして、一番やってはいけない方法で開戦し、ナゼか太平洋にアメリカにこだわった。


山本五十六は長岡藩の家老、山本帯刀の山本家の養子だという。
長岡藩と言えば武装中立河井継之助だが、徹底抗戦の会津藩や他の奥羽越列藩同盟とはまた違う嫌な負け方を新政府(尊王攘夷派)からしている奇異な藩だ。
山本帯刀は北越戦争で捕まり斬首された。一時、山本家は御家断絶だったが、その後、再興が許されたが男児がいない故に同じ長岡藩士の高野貞吉の六男、高野五十六が養子となった。

山本五十六には河井継之助武装中立なる奇策が故郷の血で細胞レベルで染み付いていたのか。

奇異な藩から輩出した山本五十六真珠湾奇襲攻撃。
なぜ、インド洋での破竹の勢いの時に、地中海まで援軍を出さなかった、なぜ、スエズ運河を抑えなかった。
この天の邪鬼から明治維新政府の血と汗の富国強兵が崩壊していく。