公民権政策のみ扱ったジョンソン大統領の映画「LBJ ケネディの意志を継いだ男」観賞

 

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LBJ ケネディの意志を継いだ男」観賞。

 

リンドン・ジョンソンが大統領就任する迄の話。主演のジョンソン役はウディ・ハレルソン

 

ケネディの意志を継いだ男

という副題から陰謀論で言われてるジョンソン副大統領のケネディ暗殺関与など期待出来ない綺麗事が予想。

時間も95分と短めで公民権運動のみケネディの意志を継いだ内容。


アメリカ南部テキサス州ストーンウォール出身のジョンソンが南部出身だからこそ黒人への理解があるという点がやたら強調されている。
車で通過中に車窓から見えるリンカーン記念堂前のリンカーン像に向かって

 

「あんたの続きは俺がやる。」

 

この映画一番のインパクト、奴隷解放運動で南北戦争までやったリンカーン大統領の引き継ぎですね。(ベトナムの南北内戦まで引き継いだよ、という暗喩なブラックジョークか?)

低予算綺麗事映画でもダラスでのケネディ大統領暗殺の場面はありました。

しかし一大事に心配と事後処理に奔走するジョンソン副大統領であり陰謀論など匂いません(笑)。

ケネディ弟のロバートとの確執の末、ちゃっかり大統領の引き継ぎ(笑)。

アメリカの大統領で唯一、選挙で選ばれてない大統領です。

 

ケネディ暗殺の陰謀、ベトナム戦争のきっかけとなるトンキン湾事件の陰謀などダーティなネタまったくなし。

キング牧師くらい少しは出せ、と思ったが出ません。

ゲイリー・オールドマン主演のチャーチル首相の映画のパクりか、ジョンソンの大統領就任演説で拍手喝采、と綺麗事で95分で終わった。


とりあえずジョンソン大統領は黒人の人権の確立の為に公民権政策を実施した立派な大統領です。
トランプは今、反対の政策で大統領やってますm(._.)m

アメリカの皇室?ケネディ家

ジョセフ・ケネディ世界大恐慌の引き金を引いたなら、日米戦争の遠因はジョセフ・ケネディという事になる。

世界大恐慌で世界中、アメリカも大不況に陥り、失業者が溢れ返る。

不況脱却の為には戦争を起こし特需景気をつくる必要がある。
フランクリン・ルーズベルト大統領はモンロー主義から続く国際紛争への中立主義だったがそれは表の顔で、この大不況打開の為にニューディール政策を立案。
その一環に国際的に孤立した日本との戦争を視野に入れる。
戦争特需でアメリカの景気回復を計画する為。
その計画でABCD包囲網、資源を日本に渡さず物理的に追い込み日本から戦争を仕向けさようとした。
よって真珠湾奇襲攻撃が起こり、モンロー主義からの伝統、他国を干渉しない孤立主義政策から正当防衛の大義名分を得て日米戦争を開始する事に成功する。


世界大恐慌がなければ、すなわちジョセフ・ケネディがいなければ日本とアメリカは戦争しなかった、か?。

世界大恐慌がなければ第二次世界大戦もあんな大規模なものじゃなかったか?


たられば、だが、自分1人が大富豪になれれば良い、という超エゴイスティックな考えが世界中を究極の悲劇に陥れた訳だ。
世界中のミリオネアが一夜にして借金苦に陥れば、世の中、戦争でも起こってしまえ、とあのナチズムを容認してしまうものか。
世の失業者は景気が回復して仕事にありつけるなら戦争もありだ、と考えるか。
人が急激に資産を、職を失えばナチズムみたいな変なモンに対する感覚が鈍る、ドイツがそういう事だし。
第一次世界大戦で敗戦し多額の賠償金と領土を奪われどん底に堕ちたゆえに国家社会主義の台頭、ヒトラーみたいな明らかにエキセントリックな軍人が支持を得る。
どん底の自暴自棄が人々の価値観を狂わせてしまう。
極度に落ち込んだ精神状態を癒撫するのにヒトラーの高揚感あるあのエキセントリックな演説が効くんだろう。


ジョセフ・ケネディ世界大恐慌への引き金が第二次世界大戦への引き金なら、あれだけ呪い続きでも相殺されんだろ。

世界大恐慌で最も得したジョセフ・ケネディ以外、他の何千万人という投資家は大損、株券さえ買えない世界中の人々も大不況にあえぐ事になった。

JFKの暗殺くらいじゃ相殺できん(笑)。

しかもジョセフ・ケネディは金融テクニックは超天才だが政治を見極める目は三流だった。
イギリスのネヴィル・チェンバレン首相の宥和政策を支持し、ナチスドイツの横暴も多少、容認すべき、と考えた。
まさかナチスポーランドに侵攻するまでやるとは思わなかったらしい。
この時期、ジョセフは駐英アメリカ大使でロンドンに在住していた。
ドイツの近所のヨーロッパに居てナチスの脅威を甘く見たのは。

世界大恐慌を引き起こし巨万の富を独占はしたが、世界大恐慌なんかあるからこそ第二次世界大戦まで戦争が大規模なものになってしまう。
自分が撒いた火種がどう育つかは見極められなかった、とはジョセフも政治を見る目はマヌケでしたな。
おかげでジョセフは駐英アメリカ大使の役職を解かれ、ナチス支持者のイメージを持たれ二度と政界に介入出来ない立場になった。


よって息子に政界進出を引き継がせる執念が凄まじいものに。

 

しかし、息子の政界進出も、ケネディ家の家訓の一番になれ、二番以下はケネディ家に必要ないという出世欲を隠さない体質が、一番に拘るあまりKYになって自爆するのを分かってないズレズレ感。


これは自分で自分の首を締める家訓だ。


金融やマフィアとのお付き合いでそっちの勘は冴えきっていたが政治に対しては見誤るマヌケで

 

目指すは政界の頂点、大統領

 

って、場の空気読まず一番ばかり狙うから大統領公務パレード中に公然暗殺されたり大統領予備選挙の勝利演説の数十分後に射殺されたり、ジョンもロバートも政界で勝利した絶頂(ケネディ家の家訓達成)の次の瞬間に殺されている。
自分がマフィアに狙われてる、政敵に狙われてる、という政治に対する勘も鋭ければ、暗殺を実行させるだけの敵をつくらなかったろう。
一番に拘る驕り高ぶり、派手さばかりで場の空気読む能力が欠落していた、と。

ジョン・F・ケネディJr.にしてもJFKとジャクリーンの良い所ばかり遺伝した俳優並のイケメンで、雑誌を刊行したり、アピール力は抜群だった。
嫁も庶民出身の一流アパレル会社に勤める美人で、シンデレラストーリーとか騒がれて、一般女性にも夢を与えていた。
当時から流行りだした、セレブリティ、という言葉そのもののセレブな美男美女カップルで派手に目立つように自らプロデュースしてましたな。
当時、私もジェームズ・ボンド役に最適だょなぁと、ダンディーで二枚目な人だと思って見てました。
この人が父親の無念を引き継ぐのか…?と、カリスマ性は絶大なものがあった。


しかし、突然の自家用機操縦ミスでの奥様共々の墜落死。
ショックでした、ケネディ家の呪われ方、凄すぎる、いや、これも暗殺だ、と。


ケネディ家の家訓、出世欲を隠さない一番になれ!という前面に出るを良しとするやり方にまたケネディ家が二枚目過ぎる男児に恵まれて、羨望に更に火を付ける。
ケネディ家が不細工な一族なら、暗殺までいかなくスキャンダル失脚位にしといてくれたかな(笑)

そんな美形一族の悲劇続きでか、ネットで調べれはすぐに世界大恐慌の引き金役一人勝ちと分かるジョセフ・ケネディだが、アメリカ本国では日本の皇室みたいな目で見られてるとか。


その価値観も、なんか変だが(笑)


カトリックアイルランド系はWASP(ホワイトアングロサクソンプロテスタントからしたら異端、アイルランド系というのはイギリス系(アングロサクソンの祖)からしたら日本人から見た在日韓国人みたいなもんか。

今でも長州人の安倍首相、麻生太郎大久保利通の血を引く薩摩人、小泉家もルーツは薩摩人。
明治維新の新政府、薩長が政権を握る、とこある。
逆に東北人の小沢一郎加藤紘一は失脚。
在日なんて、尚更、政界での出世はあってはならん?

調べたらアイルランド系は黒人よりアメリカ白人から忌み嫌われる場合もある、とか。
日本人から見たらアイルランド人は白人だから、何がそんなに嫌なのかイマイチ理解出来ない。
歌手のU2やシンニード・オコナーが自分はどうせアイルランド人だ、と逆手に宣伝してたの思い出すが、マイノリティだ、ということで曲に味わい出すんだろう、と。
GUINNESSビールは美味しいけどね(笑)。

GUINNESSビールでついでにジョセフ・ケネディ禁酒法時代にマフィアと組んで酒の密売でボロ儲けし、禁酒法が解けた後もアイルランド系人脈でウイスキー、スコッチの独占販売で巨万の富を得た。

株で巨万の富、更に酒の密売、独占で巨万の富

ダブルで大大儲け。

 

1800年代にアイルランドから移民したケネディ家はこのようなやり方でケネディ財閥にまで成り上がった。
これがアメリカの皇室的一族なのか。

チェンバレン首相の宥和政策支持者の小説、カズオ・イシグロ著「日の名残り」

 

 

イギリスのネヴィル・チェンバレン首相の宥和政策を調べていたらカズオ・イシグロの著書「日の名残り」という小説にその頃の情勢が詳しく書いてあると見付けた。

カズオ・イシグロは日系イギリス人だが、前、見付けたのは阿片商売で莫大な利益を出したジャーディン・マセソン社を糾弾する小説「わたしたちが孤児だったころ」。
英国の闇を突きつける作品を多数、書いているようだ。


第一次世界大戦の敗戦国ドイツに対するベルサイユ条約が過酷すぎるという考えはナチスドイツが台頭した当時、英国知識人からも多数意見があり、ドイツの戦後復興を助けて軍備も対等なものなら認めてもよいと考える風潮があったようだ。


要は、ナチスドイツを容認する、と、なる。


カズオ・イシグロの「日の名残り」は、当時のそのような考えを持つイギリス貴族が主人公の話で、戦後はナチス協力者として名誉を奪われる。というオチらしい。


これは「わたしたちが孤児だったころ」の阿片商売会社を糾弾する主人公の美しき母親の話とパターン一緒だな。


個人が正義感からこそ巨大組織を糾弾し、結果、巨大組織、時代の大波に覆され悲劇を被る。


日の名残り」はアンソニー・ホプキンス主演で映画化されている。


歴史は後から振り返れば、たられば、言えるが、1930年代当時はナチスドイツがどこまで横暴を繰り返すか未知数だった。
共産主義コミンテルンの脅威に対する用心もあったから、ソ連の厚い壁になってくれるドイツが多少、再軍備拡張してくれる方が都合が良かった、のもある。
ミュンヘン会談で話し合われた、ナチスドイツの要求する東欧チェコスロバキアズデーテン地方の譲渡。
ドイツに食い込んだ地形でゲルマン民族も多数、居住している。

その代わり、ズデーテン地方以外のチェコスロバキアの領土は保証するというものだった。

この当時のチェンバレン首相の防共意識は実は正解。
逆なのがフランクリン・ルーズベルト大統領。スターリンを甘く見て後々、冷戦問題につながった。

ベルサイユ条約の過酷さはドイツ程の歴史ある欧州の帝国だった国に植民地並の暮らしになれ!という半ば非現実的な制裁だったのが逆にいけなかった。

「それはちょっとやりすぎだろ。」

「いくら何でも可哀想過ぎ。だからナチス再軍備も多少なら許そう。防共の役に立つ。」

そういう世論がイギリスでもあったようだ。

 

しかし、ヒトラーは裏切り、ナチスに反発する民族運動鎮圧を理由にチェコスロバキアを解体し、傀儡化しチェコスロバキア全土を占領した。

チェコスロバキアには豊富な鉄鋼資源があり、やはりそれを狙って最初から裏切る気でいた。

 

ケネディ大統領の父親、ジョセフ・ケネディも当時、駐英アメリカ大使でロンドンに在住し、チェンバレン首相の宥和政策を支持していた。

 

松岡洋右国際連盟脱退からの帰国じゃないが、チェンバレン首相もミュンヘン会談からの帰国後、英国民から熱狂的な祝福を受けたそうだ。

考え方からしたら、可哀想過ぎたドイツにズデーテン地方くらいあげたら防共の役に立つし、少しは落ち着いてくれて、ナチスもこっちには攻めて来まい、安泰安泰。

 

ただの駐英大使ならこの楽観視に飲まれるのは仕方ないが、ジョセフ・ケネディの場合、世界大恐慌を起こした張本人。

大恐慌がその後どうなるか?まで見通せないとは、楽観視過ぎたかな。

アレクサンドル・ソクーロフ監督「モレク神」観賞

 

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アレクサンドル・ソクーロフ監督の「モレク神」観賞。


1942年、第二次世界大戦中のヒトラーエヴァ・ブラウンのベルヒテスガーデンの別荘でのとあるひとときを描いただけの内容。
ロシア映画だからハリウッド映画みたいな音楽やらアクションのケレンミ皆無の暗さ、静寂が逆に心地好い。

このソクーロフは恐れ多くも昭和天皇を描いた「太陽」の監督。
この「モレク神」「太陽」と「牡牛座 レーニンの肖像」「ファウスト」の4作品でソクーロフ監督の「権力の四部作」とか。
地味なロシア映画と思いきやソクーロフ監督の怖いもの知らずさはハリウッド映画の音楽やらアクション並みで
「太陽」では歴史に名高いマッカーサー昭和天皇との会談を


「まるで子供だな。」


と、ソクーロフ監督は昭和天皇マッカーサーにバカにされた描き方をした。
しかも護衛のアメリカ兵に


チャールズ・チャップリンみたいだぜ。」


とチャーリー、チャーリーからかわれながら無遠慮に記念写真を撮られまくる。
いくらロシアの巨匠ソクーロフでも昭和天皇をここまでバカにするのは、で、実際はマッカーサーにバカにされてたのか?(笑)

この「モレク神」も見事なくらいなロシア映画の個性、無機質でありながらハリウッド映画の音楽やアクション並みにファンタジーな設定(笑)
まず、ゲッベルス役の似方が良い。
ナチス 第三の男」のハイドリヒは細面な本物と対称的ながっちりした体格の役者だったが、モレク神のゲッベルスは本物同様にガリガリに痩せて背が低く片足を引きずっている。そして異様に声が高い。
去年観た「サスペリア」のティルダ・スウィントンの男役のような。
このゲッベルスの奇妙さだけでソクーロフは天才だと思えた(笑)不気味さ最高(笑)
ヒトラーの役者も似てたがゲッベルス程、味わいはない。

 

ベルヒテスガーデンのヒトラーエヴァの居る別荘にゲッベルス夫妻が遊びに来たとある数日を描いただけの内容だが、よくある俗物夫妻同士の交流で
この


”よくある”
”俗物さ”


が逆に暴力に感じてくる。
第二次世界大戦最中で、あの世界最狂の独裁者ヒトラー


”よくある”
”何でもない俗物”


ただの口の悪い中年のオッサンなんて
そして愛人のエヴァも見事にフツーの女。
エヴァは体操が多少上手だった人みたいで自慢の体操をやってみせる場面が何回かあるがこれも、フツーの女がまあ取り柄と言えば体操が多少上手い程度で、とエヴァのフツーの女っぷりを強調しているソクーロフ監督サスガ(笑)
ゲッベルスの嫁のマグダの方は美人で、登場した時、華があった。実際もエヴァ・ブラウンよりマグダ・ゲッベルスの方が美人なんだな。

そしてヒトラーの方も、ノルウェーは日照時間が少なく太陽が当たらないから精神異常者が多い、だの、チェコは蒙古の血が入ってるからヒゲの生え方が無様だ、だの、ソビエトは寒いから怠惰でアル中ばかり、だの、と侵略した国の民族に対する差別発言を居酒屋のオッサンの戯言レベルで発言する
よくある差別主義思想がある白人のオッサンと体操が多少上手いだけの女という、俗物カップルの何でもない一日。

しかし時は第二次世界大戦最中(笑)

 

「世界大戦の最高権力者」が「フツー」

 

という、暴力的な落差がハリウッド映画の音楽やアクション並みにファンタジー

ソクーロフ難解かな?この暴力、どっちかというと「あざとい」くらいに分かり易い。

エイゼンシュテインも富裕層と労働者階級の差異、善悪をあざといくらいハッキリさせて強調させてたけどロシア映画って暗いようで実は”あざとい”のだろうか。
革命の戦意高揚だもんね。
社会的な問題意義を暗喩しようという意思の強調。


世界最高の権力者もただの人間、と描く暴力が大変上手です。

 

「太陽」では木戸幸一がよく似てたけど、ソクーロフ監督の配役のセンスは天才。

スラバヤ沖海戦とバタビア沖海戦

1940年5月10日、ナチス・ドイツはオランダに侵攻。
オランダのウィルヘルミナ女王は1940年5月13日にイギリスに亡命し、オランダ亡命政府となった。

フランスも侵攻され1940年6月22日に独仏休戦協定が締結された。フランスは分断されナチス・ドイツが占領するパリ、海岸部を含む北部とナチス・ドイツ傀儡のフィリップ・ペタン首相のヴィシー政権となった。

日本はナチス・ドイツがフランスに侵攻した1940年5月から仏印を狙いはじめフランスが占領され消滅し、ナチス・ドイツ傀儡になったのを良いことに1940年8月末に松岡洋右外務大臣とシャルル・アルセーヌ=アンリ駐日フランス大使で松岡・アンリ協定を締結。
アジアにおける日本とフランスの利益の尊重、仏印への日本軍の進駐、協力を約束した。
同年9月22日には軍事的な協力も約束する軍事協定、西原・マルタン協定が西原一策少将とモーリス=ピエール・マルタン仏印軍最高司令官で締結。
そして翌日、9月23日、北部仏印進駐を実行。
アメリカから対日屑鉄輸出禁止を受ける。

日本は石油の輸入を90%アメリカに依存していた。

石油もヤバいかも…。

ならばアメリカ以外からも石油を輸入すれば良い。

インドネシアの油田

ロイヤル・ダッチ・シェルスタンダード・オイルがあるインドネシアを植民地とするオランダから石油を売ってもらおうと交渉する。

日蘭会商

既にオランダとは1930年代に綿製品の取引で第一次日蘭会商をやっている。

1940年からは米内光政内閣がオランダがドイツに占領され本国が消滅した足元を見るように東南アジアの植民地、蘭印に干渉しない代わりを求めた。石油、ボーキサイト、ゴムなどの日本への供給を交渉。
しかし、途中、米内内閣は総辞職する。

次の第二次近衛文麿内閣が継承し、この交渉が第二次日蘭会商となる。
まず、前、拓務大臣の小磯国昭予備役陸軍大将に使節団長を依頼した。
小磯国昭は引き受ける条件として陸、海軍の同行を要求。
もはやオランダの足元を見る威力だ。
さすがに軍隊を同行の交渉は当時、陸軍大臣だった東條英機でも「非常識」と発言したとか。
また、小磯国昭は記者会見で
「蘭印ではオランダ人と華僑が原住民に極端な搾取を行っていると聞く。また原住民は政治的、文化的に低い水準にあると聞く。日本は彼等と民族的に近い。虐げられた東洋民族を救済するのは日本の宿命だ。世界の平和、共栄のための南進政策、これが日本の社会通念である。」
と、大変、ご立派な大東亜共栄圏論を高らかに唄い上げ、これが東京朝日新聞、更にロイター通信で世界中に配信されて物議を醸した。
小磯国昭の言ってることは後の植民地解放につながる正論だが、当然、オランダには強い反発を引き起こすもので、小磯国昭の派遣は取りやめになった。
次に刺激の無い文官から阪急グループの創立者小林一三商工大臣を任命。1940年9月13日にバタビアに派遣した。
しかしフランス領の北部仏印進駐に加え1940年9月27日にベルリンで締結した日独伊三国同盟によりナチス・ドイツと同盟を組んだことがオランダの警戒心をかなり強めた。
交渉は当然、難航し、団長を芳澤謙吉外務大臣に交代したが、本国を占領したナチス・ドイツと同盟を組んだ日本をもはやオランダは信用してくれなかった。


そして、交渉決裂。


日本は1941年7月28日、資源を求めて更に南下し南部仏印進駐を実行。
アメリカから対日石油禁輸、対日資産凍結を受ける。
イギリスも、もちろん日中戦争中の中国も、そして日蘭会商が決裂したオランダもアメリカに続いた

Aアメリ
Bブリテン=イギリス
Cチャイナ=中国
Dダッチ=オランダ
ABCD包囲網

そして日米交渉中のコーデル・ハル国務長官からハルノートが突き付けられ


開戦


1941年12月8日からマレー作戦、真珠湾奇襲攻撃、香港攻略、ビルマ、フィリピン攻略


次はインドネシアパレンバンの石油。
石油が無い日本


すべては石油のためだった。


蘭印作戦。
1942年1月11日にまず坂口静夫少将率いる第56師団の坂口支隊が、フィリピンのミンダナオ島からボルネオ島、更に油田地帯があるタラカン島に上陸した。


1942年2月14日スマトラ島パレンバン
「空の神兵」
と呼ばれた空挺部隊、落下傘部隊が降下。
パレンバンの油田、製油場、飛行場を占拠。
英蘭軍はなすすべもなかった。
パレンバンの油田を日本軍は見事、抑えた。


そして蘭印作戦の総仕上げ、物資と今村均中将、率いる第16軍をジャワ島のバタビアに移動させる。

この時、起こったのが
スラバヤ沖開戦とバタビア沖海戦。


⚫スラバヤ沖海戦
1942年2月27日
東部ジャワ攻略部隊としてフィリピン方面の第14軍指揮下第48師団と坂口支隊が輸送船約40隻に分乗してジャワ島東部のスラバヤを目指した。


第三艦隊司令官、高橋伊望(いぼう)中将の指揮下
旗艦、重巡洋艦 足柄、重巡洋艦 妙高
駆逐艦、雷(いかづち)、電(いなずま)、曙(あけぼの)

司令官、高木武雄少将の第五戦隊、重巡洋艦那智、羽黒
駆逐艦、潮(うしお)、漣(さざなみ)、山風(やまかぜ)、江風(かわかぜ)

第二水雷戦隊の田中頼三少将、軽巡洋艦、神通(じんつう)
駆逐艦雪風(ゆきかぜ)、時津風(ときつかぜ)、初風(はつかぜ)、天津風(あまつかぜ)

第四水雷戦隊の西村祥治少将、軽巡洋艦、那珂
駆逐艦村雨(むらさめ)、五月雨(さみだれ)、春雨(はるさめ)、夕立(ゆうだち)、朝雲(あさぐも)、峯雲(みねぐも)

がジャワ島に向かう護衛の途中、スラバヤ沖海戦で戦うことになる。


対する連合国軍は

Aアメリ
Bブリテン=イギリス
Dダッチ=オランダ
Aオーストラリア
ABDA海軍部隊

オランダのコンラッド・ヘルフリッヒ中将、司令長官の元

オランダのカレル・ドールマン少将が指揮官のABDA連合打撃部隊で迎えた

オランダは旗艦、軽巡洋艦デ・ロイテル、ジャワ
駆逐艦コルテノール、ヴィッテ・デ・ヴィット

イギリス重巡洋艦エクセター
駆逐艦エレクトラ、エンカウンター、ジュピター

アメリカは重巡洋艦ヒューストン
駆逐艦ジョン・D・エドワーズ
ポール・ジョーンズ
ジョン・D・フォード
アルデン
ポープ

オーストラリアは軽巡洋艦パース

1942年2月27日の午前11時過ぎ、日本の索敵機が連合国の敵艦隊を確認した。そして46時間にわたる壮絶な雷撃戦が勃発する。

2月27日の夕刻5時39分に第二水雷戦隊の軽巡洋艦、神通が敵艦隊を発見。第五戦隊、第四水雷戦隊がこれに続いた。
高木武雄少将はアウトレンジ戦法を採りスラバヤ沖で20000メートル離れた距離から雷撃を仕掛けた。

20000メートル=20キロメートル
皇居からだと
北は埼玉県川口市あたり
南は横浜
東は浦安のディズニーランド位の海上での距離。
日本の酸素魚雷は20キロメートル以上は推進させる威力があったから一方的なアウトレンジ戦法が可能だった。

日本の艦船が高速移動で高威力の93式魚雷を20000メートル先からバシバシバシバシ
推進力は高いが、途中で爆発したり、なかなか命中しなかった。
高木武雄少将は後、この遠距離からのアウトレンジ戦法を批判されたが、一説には初めて使用する93式魚雷の使い方を間違えた為、命中しなかったヒューマンエラー説がある。
1時間後の午後6時37分ようやく重巡洋艦、羽黒の雷撃がイギリスの重巡洋艦エクセターに命中、中破する。

午後6時45分には同じく重巡洋艦、羽黒の雷撃でオランダの駆逐艦コルテノールを撃沈する。

中破した重巡洋艦エクセターをスラバヤに退却させる為、護衛としてオランダ駆逐艦ヴィッテ・デ・ヴィットが同行。
ABDA連合打撃部隊もいったん退却するも、高木武雄少将の指揮下、第五戦隊、第二水雷戦隊、第四水雷戦隊は追撃する。


遠距離ゆえに命中率は悪かったが敵の魚雷からは届かない距離から一方的に発射、推進させ当たれば撃破、アウトレンジ戦法だから味方の損傷は免れ、時間の問題ではあった。
連合国側の魚雷はせいぜい推進5000メートルだったというから、日本の酸素魚雷の威力は抜群のものだった。

それにABDA連合打撃部隊は先の日本のシンガポール、フィリピン攻略から退却した艦船の寄せ集め集団だった上にパレンバンの油田を日本軍が抑えた為、燃料が足りず、動きが鈍くなっていた。

また、オランダ人司令官のオランダ語と英語のコミュニケーションも大変な手間がかかった。

蘭印に対する執念もオランダ海軍だけは自衛意識で強烈だったが、先にマレーとフィリピンを失ったイギリスとアメリカにはそこまでの執念は残っていなかった。


夕刻から退却したABDA連合打撃部隊を高木武雄少将は全艦隊で追撃し、T字戦法でこれを迎えるよう命令した。
日本海海戦東郷平八郎の見事な戦術だが、なんせ遠距離、アウトレンジ戦法なんで雷撃は全て外れた(泣)。
そんなまどろっこしい中、第四水雷戦隊の駆逐艦朝雲、峯雲が近距離まで突進。
イギリス駆逐艦エンカウンター、エレクトラ、ジュピターに接近し雷撃する。
朝雲も当てたが返り撃ちにも合い中破。
次の峯雲がイギリスの駆逐艦エレクトラを見事、撃沈した。
エンカウンターも小破し、退却した。時は既に夜8時。

小破したエンカウンターは最初に撃沈されたオランダ駆逐艦コルテノールの漂流乗組員の救助をしながらスラバヤへ退却。
アメリカの駆逐艦群も燃料切れで離脱した。
翌々日3月1日になるが高木武雄少将は第三艦隊の高橋伊望中将の重巡洋艦 足柄、妙高に応援を依頼し
この時の残存艦イギリス重巡洋艦エクセター駆逐艦エンカウンター、アメリ駆逐艦ポープらを雷撃し撃沈することになる。
ジュピターは2月27日の、この退却中、上陸する日本軍の詮索でジャワ島沿岸に移動した時、味方オランダの仕掛けた機雷に当たり爆発、沈没。

残るABDA連合打撃部隊はオランダの軽巡洋艦デ・ロイテル、ジャワ、オーストラリアの軽巡洋艦パース、アメリカの重巡洋艦ヒューストン4隻。

深夜、翌日に入り2月28日午前0時過ぎ、高木武雄少将の重巡洋艦 那智、羽黒の雷撃がオランダの旗艦、軽巡洋艦デ・ロイテルにようやく命中した。
同じく深夜1時20分に重巡洋艦那智の雷撃によりオランダ軽巡洋艦ジャワも撃沈。


司令官のカレル・ドールマン少将は戦死した。


アメリカの重巡洋艦ヒューストンも小破したが、いち早く退却。
第五戦隊の重巡洋艦那智、羽黒がこの時、撃沈した敵艦デ・ロイテル、ジャワの敵漂流乗組員を救助する隙に退却したという説もあるが、撃沈した軽巡洋艦デ・ロイテルと運命を共にしたカレル・ドールマン少将は最後


「ヒューストンとパースは生存者に構わずバタビアに退避せよ」


と、電報を打電したという。

残存のABDA連合軍艦艇は退却するためジャワ島とボルネオ島間のスンダ海峡を通過して南方へ向かった。

 


バタビア沖海戦

1942年2月28日、物資と今村均中将とその指揮下、第16軍を移動させる輸送船56隻は、南部仏印カムラン湾を出撃していた。
これを護衛するのは
原 顕三郎少将司令官の第五水雷戦隊。
旗艦の軽巡洋艦、名取
駆逐艦、朝風(あさかぜ)、春風(はるかぜ)、旗風(はたかぜ)、皐月(さつき)、水無月(みなづき)、長月(ながつき)、冬月(ふゆつき)

第三水雷戦隊、駆逐艦、初雪(はつゆき)、白雪(しらゆき)、吹雪(ふぶき)、叢雲(むらくも)、白雲(しらくも)

第七戦隊、重巡洋艦、三隈(みくま)、最上(もがみ)
駆逐艦 敷波(しきなみ)


ABDA連合軍残存艦艇は
アメリ重巡洋艦ヒューストン
オーストラリア軽巡洋艦パース


2月28日の午前、スラバヤ沖海戦でなんとか退避出来たアメリ重巡洋艦ヒューストンとオーストラリア軽巡洋艦パースはバタビアのタンジョン・プリオク港に入港するも、もはや搭載魚雷も使い尽くし燃料切れでヘトヘトだった。
バタビアも、もはや日本軍の上陸で危険領域となり、更にオーストラリア側のジャワ島南岸、チラチャップへ移動する命令が下された。
しかし、チラチャップも既に日本の制空権範囲となっていた。既にスンダ海峡は封鎖されていたが、オランダ人の司令官がジャワ島死守の為、黙秘した説もある。
元々オランダだけが自衛意識が高い、アメリカ、イギリス、オーストラリアの国籍の違う命令系統の不統一で、蘭印に拘りのないアメリカのヒューストンとオーストラリアのパースの乗組員のテンションはだだ下がりだったという。
オランダは駆逐艦エヴェルトセンも同行させるもここでも連絡が行き届かず、遅れて参加することになる。
ヒューストンとパースは故障したレーダーの修理もままならず、燃料も充分に補充出来ず2月28日午後19時過ぎ、チラチャップに向けて出港した。

2月28日午後10時、チラチャップへ移動の途中、日本の駆逐艦、吹雪に発見され、雷撃戦が始まった。
スラバヤ沖海戦もだったが、なかなか雷撃が命令しなかった。
日本は第七戦隊の重巡洋艦、三隈、最上も集合させ翌3月1日の深夜0時過ぎ、まず、オーストラリアの軽巡洋艦パースを次にアメリカの重巡洋艦ヒューストンを撃沈した。

ヒューストン、パースの艦長、乗組員の大半が戦死した。
遅れて参加したオランダ駆逐艦エヴェルトセンは、途中、座礁した。

上陸作戦に成功する日本にもアクシデントがあった。
激しい夜戦での雷撃の中、今村均中将が乗った揚陸艦の龍城丸にも味方の重巡洋艦、最上が放った魚雷が命中してしまい大破した。
今村中将は海上へ投げ出され、約3時間も、大破した艦船から漏れた重油の漂う海を漂流した。


しかし、温厚な今村均はこの味方撃ちを問題にせず、穏便に流したという。


スラバヤ沖海戦では駆逐艦、雷(いかづち)の工藤俊作艦長が撃沈したイギリス駆逐艦エンカウンターなどの敵漂流乗組員422人を救助し連合国の病院船に引き渡した美談もある。
第五戦隊の重巡洋艦那智、羽黒もだが、勝ち戦の時は敵を救助してやる余裕があるが、3ヶ月後のミッドウェー海戦では駆逐艦、巻雲が拿捕したアメリカ人を海に投げ捨てたのは今秋公開予定の「ミッドウェイ」でもあるな(泣)。

海戦で敵を蹴散らしジャワ島に上陸した第16軍に対し、もはやオランダ軍に余力は無かった。
1942年3月10日、ジャワ島のバンドン要塞にある蘭印軍司令部が陥落した。
インドネシアの島全域を占領した日本軍の蘭印作戦は大成功に終わった。


今村均中将のジャワ、インドネシアラバウル統治は太平洋戦争の占領地でおそらく一番、人道的で建設的だったろう。
ニューギニアのアイタペの戦いの時も第18軍に持久戦を指示したように、今村はすべての統治領で兵力の無駄な消耗を避ける為、長期持久に備える島の開墾を行い、自給自足体制を敷いた。
オランダ人から虐待されていたインドネシア人も解放し大切に扱い、日本軍の味方にした。
ジャワ島攻略がスムースに成功したのも地元のインドネシア人の協力があったからだと言う。それだけ植民地時代のオランダ人はインドネシア人を虐待していた。

今村均はオランダから政治犯とされ監禁されていたスカルノとハッタらも解放し高い指導力のある彼らに資金、物資の援助を行い、その後のインドネシア独立運動につなげた。
終戦直後の1945年8月17日には統治者が空白の状態になった隙を見てインドネシア共和国として独立する。
スカルノは初代大統領、ハッタは初代副大統領となった。

よって戦後の軍法会議今村均インドネシア方面の第16軍司令官としてのオランダの軍法会議では山下奉文本間雅晴のように死刑にならず、無罪判決となった。
しかし、ラバウルの第8方面軍司令官としてのオーストラリアの軍法会議では禁固10年にされた。

ここで、人道的な統治を行った今村均人間性が表れる。
禁固刑を受けるに自分だけ東京の巣鴨プリズンでは、部下に申し訳がない、と環境の悪いパプアニューギニアのマヌス島の刑務所で部下と一緒の服役をわざわざ希望し、マッカーサーを感嘆させた。


マッカーサー

「真の武士道を見た。」

と、今村均に対して発言した。

 

 

歴史群像  4月号 (№160)

歴史群像 4月号 (№160)

  • 発売日: 2020/03/06
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翻弄される国?、日本

フランス革命からナポレオンのフランス革命軍に対して第一次対仏大同盟が締結されるがナポレオンのフランス革命軍が戦争に勝利する。
そして1797年10月、カンポ・フォルミオ条約を締結。

その結果、ナポレオンのフランスはハプスブルク家の領有国、オーストリアネーデルラントをフランスに併呑した。

ネーデルラント連邦共和国も占領、よってオランダ総督のオラニエ公ウィレム5世はイギリスに亡命。
1795年からはナポレオンのフランス傀儡のバタヴィア共和国となった。

1804年12月2日にナポレオンは皇帝となる。

自身が皇帝となると自分の兄弟を侵略した国の国王に就けた。
バタヴィア共和国も1806年からはナポレオンの弟、ルイ・ボナパルトが国王に就任しホラント王国となった。

ちなみにこのルイ・ボナパルトの息子シャルル・ルイが後のナポレオン3世となる。

他にナポレオンの兄ジョゼフ・ボナパルトナポリとスペインの国王に就任。

しかし新興のジョゼフ・ボナパルトにスペイン国民が反発しスペイン独立戦争(または半島戦争とも呼ぶ)が起こりイギリスと戦うことになる。


その頃、日本は鎖国中の江戸幕府
長崎の出島で唯一、オランダとは交流があり、1808年10月フェートン号事件が起こった。

フェートン号事件とはイギリス軍艦がオランダ船を装い長崎港へ不法侵入し、長崎の出島のオランダ人を誘拐、人質にし強奪した威嚇事件。
フランス属国のオランダの海外拠点をフランス領とみなし威嚇しに来た。
イギリス本国では半島戦争でフランスと戦っている最中。

イギリスの敵はフランス、そう、長崎の出島はフランスがオランダを占領中の実はフランスだった。

白石一郎の短編小説に「孤島の騎士」というのがあり、この辺りの長崎の出島のオランダ人を描いている。

 

幻島記 (文春文庫)

幻島記 (文春文庫)

 

 


出島のオランダ人がナポレオンの起こしたヨーロッパの戦乱を、遠く離れた極東の、鎖国政策の江戸幕府に知らせぬまま、狡猾に翻弄した話だ。


翻弄


「孤島の騎士」は短編小説だが、結論から言うと欧州大陸の戦乱、植民地競争にまみれた狡猾なオランダ人に対して安直に翻弄されてしまうだけの鎖国中の島国根性の日本人。
という対比をシニカルに描いている。

長崎の出島にはオランダ人の商館長(カピタン)が居て実在した当時のカピタン、ヘンドリック・ヅーフが主人公。

オランダ商館長(カピタン)のヅーフに翻弄されるのが通訳の役目の通詞の日本人達だ。


白石一郎が初の直木賞の候補になった作品とか。(1970年第63回の直木賞の候補になった)
白石一郎フェートン号事件で自ら進んで切腹し責任をとった松平康英を描いた「切腹」も書いている。

この辺りの史実には更なる逆転現象があり、そこを白石一郎の「孤島の騎士」は上手く描いている。
本当のオランダ国王と言うべきオランダ総督オラニエ公ウィレム5世はイギリスに亡命していてイギリスはフランス領となったオランダの植民地、オランダ領東インドを占領し返していた。

オランダ領東インドは侵略返しでイギリス領東インドとなっていた。


イギリス領東インド会社


イギリス人のトーマス・スタンフォードラッフルズがイギリス領インド会社のジャワ副総監だった。

ラッフルズと言えばシンガポールラッフルズホテルが有名。村上龍の同名小説があるな(笑)。

シンガポール

ラッフルズのジャワ副総監の統治は1811年~1816年の4年半だが、先にマレー半島ペナン島で6年間、勤務していた。
当時、東南アジア独特の病気があり原因や治療法がまだ未開発で、赴任地では多くの人が亡くなり、入植者のイギリス人、原住民に病人がたくさんいた。

江戸幕府初期、秀忠の頃まではイギリスは平戸を拠点に日本と貿易していた。

イギリスは日本は、日本人は清潔、なのを分かっていた。
東南アジアは疫病が大変、清潔な日本の拠点が欲しい。

ラッフルズがイギリス領東インド会社の副総監に就任した時、ナポレオン戦争の混乱にまぎれ、まず長崎の出島もイギリス領にしようと企んだ。


元、オランダ領東インドのオランダ人の意識はフランスの属国のフランス植民地よりは本当のオランダ国王的存在オラニエ公ウィレム5世の亡命先、イギリスのイギリス植民地のがマシだった。


しかし、イギリスとオランダも因縁がある。


16世紀の大航海時代、香辛料を求める東南アジア方面への侵略でヨーロッパ各国がそれぞれ東インド会社を設立する競争があった。
インドネシアポルトガルから始まりオランダがポルトガルを駆逐し、更にイギリスも進出した。
オランダとイギリスでインドネシアの拠点を争った。
そこでオランダ東インド会社の人間がイギリス東インド会社の人間を陰謀で連行し拷問死させインドネシアを独占するアンボイナ事件が起こる。
本国で大問題となりオランダがイギリスに賠償金を支払うことで事態は収拾した。
しかし以降、香辛料の価値が下がりインドネシアはたいした拠点ではなくなりオランダは衰退。むしろインドを重要拠点としたイギリスの勢力が増すこととなる。
17世紀からは英蘭戦争を第四次までやりアメリカ大陸東海岸を争った。ニューヨーク元々はニューネーデルランド、オランダ領だったが敗戦しニューヨークとイギリスの都市名に変わった。
江戸幕府ともイギリスは長崎の平戸で貿易していたのをオランダが江戸幕府
「イギリスはポルトガル王室と婚姻しカトリックだから、布教活動を企む」
と讒言。島原の乱もあり、家光の時代からは海外貿易はオランダ一国、長崎の出島のみとなった。


英蘭の確執や因縁は鎖国の島国、日本には計り知れないものだった。


とは言え、19世紀、ナポレオン戦争中のイギリス領東インド
殆どがイギリス傀儡のがマシとイギリスの言いなりに行動する中、長崎の出島のカピタン、ヅーフだけは英蘭の確執を考慮したか更に上手でフランス領長崎の出島をあえて貫いた。

よって長崎の出島はナポレオン戦争中の数年、本国からの補給が途絶え、カピタンのヅーフは資金繰りに苦労した。

しかし、イギリスに頼ったって、やはりイギリスに獲られる。
ナポレオンか、イギリスか、の違いなだけ。

ナポレオンの侵略を嫌ってのイギリスの傀儡化とは言え、イギリスもオランダの海外拠点をイギリス化しようと企んでいるはず。

イギリスは先のフェートン号事件で、オランダ船を装い威嚇しに来たが、後もオランダ船を装い長崎の出島に来航し、イギリス傀儡のオランダ人の出島商館長に人事交代しようと企んだ。
ヅーフはそうじゃないから、イギリスの言いなりになるオランダ人を使うイギリス人ラッフルズの作戦だ。
白石一郎の「孤島の騎士」はこの辺り、書いてます)


ヅーフが当たりだった。


ナポレオンは1815年6月18日、ワーテルローの戦いに負け、ウィーン会議東インド会社ことインドネシアはイギリスからオランダに戻された。

 

オランダ人ヅーフの粘りがイギリス人ラッフルズに勝った。


白石一郎の「孤島の騎士」に、最後、ヅーフが事態が解決した時、日本人通詞に
「国際情勢は複雑なものです。その点、貴方がた日本人は、何も知らない。赤児のようにね。」
と言い
日本人通詞は、自国を赤児と言われた江戸幕府の無防備さに顔を赤くし恥じた。
という場面がある。

ヨーロッパの混乱に対して、江戸幕府はヨーロッパの事情を知らぬまま、偽装船にも気付かずオランダだと思ったまま、秘密裏に知っても隠蔽したまま、長崎の出島を200年以上、怠慢に許し続けていた。

 

良くも悪くも日本だ。

 

ナポレオンのフランスから次にヨーロッパを席巻した第二次世界大戦ナチス・ドイツ
ナチス・ドイツが侵略した国々、オランダの女王、ベルギーの首相、ノルウェーの国王、フランスのド・ゴール将軍、ポーランドの大統領、チェコスロバキアの大統領らは、やはりイギリスに亡命。
ムソリーニのイタリアに占領されたエチオピアの皇帝もイギリスに亡命した。

しかし、イギリスは第二次世界大戦ではナチス・ドイツと戦い、植民地は日本に占領され疲弊し尽くした。
ノルマンディー上陸作戦はアメリカに頼った。
よってフランスのド・ゴール将軍は戦後、駐留するアメリカ軍からの従属要求の予防を核保有政策で切り抜いた。
ド・ゴールの立ち回りの狡猾さをド・ゴール主義と呼ぶ。かつて長崎の出島は守ったヅーフのようだ。


時は1942年1月11日、日本の陸軍第16軍は蘭印作戦を実行。


鎖国中の江戸時代には長崎の出島で貿易した唯一の国オランダの植民地インドネシア、ジャワ島に侵攻。
かつて140年前は翻弄されるだけの国は欧米より数世紀遅れて侵略国家となった。

遅れてやってみた侵略で、江戸時代には貿易した侵略国家イギリスとオランダを制圧した。
しかし、遅れてやった侵略は、大敗で終わり、軍事裁判で裁かれることになった。
そしてインドネシア統治の日本軍人の多くがオランダに軍事裁判でB級C級戦犯として裁かれ死刑にされた。


大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」でジャワ島捕虜となった連合国イギリス軍、オランダ軍を描いている。

 

戦場のメリークリスマス [DVD]

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  • 発売日: 2011/10/29
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占領し統治する日本軍将校ヨノイ役を坂本龍一が演じていた。
この映画のクライマックスの名場面、ナゼかアイシャドーの化粧した坂本龍一デヴィッド・ボウイ演じるイギリス兵捕虜がキスしてしまう。

ヨノイがあるイギリス兵捕虜を斬首しようとする場面、デヴィッド・ボウイ演じるイギリス人捕虜は仲間を守るため

~ヨノイは俺に惚れている、斬首なんて野蛮を止めさせねば、よし、キスしてやろう~

坂本龍一演じるヨノイはショックで倒れる。


はい、腐女子とホモにはたまらない映画です(笑)。


デヴィッド・ボウイ、化粧した坂本龍一と美しい男ワールドの中、ナゼかビートたけしが典型的な日本の軍人の味出しまくりで出演。


ビートたけし演じる日本兵が戦後、戦犯になり収監されている場面。ジャワ占領期には傍若無人でデカイ態度だった野蛮な日本兵が、小さくなって澄んだ目でかつて捕虜で下手に扱ったイギリス兵通訳、ロレンスに

「メリークリスマス、ミスターロレンス」

と、立場逆転で死刑前の最後のご挨拶。


やっぱり日本が翻弄されただけの戦争だったのか。


美しい男ワールドで坂本龍一のこの映画のテーマ曲、「戦場のメリークリスマス」に歌詞が乗るデヴィッド・シルビアンが情感たっぷりに歌い上げる「禁じられた色彩」という曲がある。

 

禁じられた色彩

禁じられた色彩

 

 

デヴィッド・シルビアン、1980年代初期のJAPANってバンドのボーカル。耽美的で幽玄で素晴らしい名曲がたくさんあるが「錻力の太鼓」は特に凄い。

 

錻力の太鼓

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  • 発売日: 2015/04/08
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中国共産主義の曲や、イギリスの、日本の侵略の暗喩っぽい曲がある。

他のアルバムにも
大航海時代、アフリカ植民地、東ドイツの曲がある。
クワイエット ライフ」という曲は
ヨーロッパの青年らがゴールドラッシュに沸いた時代を暗喩した感じの曲だ。

 

クワイエット・ライフ

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  • アーティスト:ジャパン
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ヅーフもラッフルズも、ロシアのレザノフも、海外に侵略し一攫千金を狙うゴールドラッシュの先駆けだった。


日本への本格的なゴールドラッシュは1853年7月8日、ペリーの浦賀への黒船来航から。
鎖国江戸幕府もペリーの黒船に、1854年3月31日、
日米和親条約を締結し、とうとう開国。
アメリカは更に外交官ハリスを来航させ1858年に日米修好通商条約も締結。
アメリカと不平等条約を結んで開国したら、俺も俺もとヨーロッパ列強各国が続々と来航し、不平等条約締結のオンパレードとなった。
安政五カ国条約アメリカをはじめオランダ、イギリス、ロシア、フランスとも修好通商条約を締結。
以降もポルトガルプロイセン、スイス、ベルギー、イタリア、デンマーク、スペイン、スウェーデンノルウェーオーストリア=ハンガリー帝国と計15ヶ国と不平等な通商条約を締結した。
そして、うじが湧くようにゴールドラッシュ狙いの欧米人が日本にやって来た。

大量に湧いたウジ虫(ゴールドラッシュ狙いの欧米人)いや、血を吸うヒルらに、不平等条約は、日本の金を数ヶ月で枯渇させた。

金銀比率めちゃくちゃに不平等な交換。
ルールゆるゆる、家族名義、家族ならまだしも、名前変えて同人物が別人になりすまし、何回も何回も比率めちゃくちゃな金銀交換を繰り返してたら


日本の金が、数ヶ月で枯渇した。


あれだけ頑なに鎖国したがこの様。
この不平等条約の打破から鎖国江戸幕府を倒した明治政府は富国強兵に力を入れ、日露戦争第一次世界大戦でヨーロッパに復讐する。
しかし、ヨーロッパより遅れた侵略が世界中から非難され、国連を脱退。
日本も火事場泥棒に資源を求め南下したら、東南アジアを植民地に持つ欧米から反感を買い、逆に対日石油禁輸を喰らった。
よって無謀な第二次世界大戦に無理矢理、突入せざるを得なくなり

大敗する。

敗戦国、日本。今現在やはり、日本は欧米に搾取される翻弄される国、かな(泣)。

あ、カルロス・ゴーンとか

レザノフの文化露寇

ロシアの日本への正式な来航はアダム・ラクスマン根室に続き12年後の1804年、長崎の出島に来航したニコライ・レザノフに続く。
レザノフは元々、露米会社という会社でラッコ、アザラシなどの毛皮などで商売していた。
既にアリューシャン列島からアラスカまでロシア領で、毛皮になる動物を捕獲し、儲けていた。

そして極東のオホーツク海北方領土にも目を付けロシア皇帝アレクサンドル一世の親書で正式に通商を求め長崎に来航した。

しかし、かつてラクスマンに入港許可書を渡した老中松平定信は既に失脚。
話が通らず長崎で半年も待ちぼうけを喰らい、江戸幕府から鎖国を理由に薪、水、食料の提供もされないまま仕方なく長崎の出島を去った。

怒ったレザノフは2年後の1806年に部下のニコライ・フヴォストフに樺太択捉島松前藩と幕府の拠点を攻撃させた。

日本史では事件が文化三年、四年にあった元号から「文化露寇(ぶんかろこう)」と言う。

ロシア側は実行した部下の名前から「フヴォストフ事件」と呼んでいる。

しかし、この砲撃命令はアレクサンドル一世を越権したレザノフの独断専行で、レザノフはアレクサンドル一世から叱責され、長年の渡航生活もあってか文化露寇の翌年、42歳で亡くなった。


1806年あたりはロシアはナポレオン戦争の真っ最中だから、ナポレオンさえいなければロシアが本格的に侵略しにやって来たかな。


ナポレオンの影響は長崎の出島にもあり、唯一の貿易国オランダは一時、ナポレオンの弟が王位に就いたホラント王国となった。
よって1808年10月、イギリスの軍艦が長崎の出島をナポレオンのフランス帝国の飛び地と見なして、不法侵入し威嚇してきた。


フェートン号事件


イギリスの軍艦フェートン号がオランダ船を装い、長崎港に不法侵入し出島から出迎えたオランダ人を人質にした。仕方なく幕府はイギリスに薪、水、食料を渡して穏便に対応。イギリス軍艦はフランス傀儡のオランダに一発喰らわし補給も出来て満足したか帰国してくれた。


江戸幕府鎖国中の日本にナポレオン戦争の影響があった。

フェートン号事件に、おろおろと、とりあえず薪、水、食料を渡すしか能のない江戸幕府
この時のおろおろ対応で、長崎の出島の責任者は切腹したらしいが、問題はそこじゃない。

この時の江戸幕府はヨーロッパの情勢をちゃんと分かってたのか?
ナポレオンなるヨーロッパを席巻した新興の皇帝の存在を分かっていたのか?

長崎の出島に居たシーボルトが帰国の際、1828年シーボルト事件が起きているが、ヨーロッパにナポレオンなる新興の皇帝が存在した書物をシーボルトから幕府の天文方の学者、高橋景保(かげやす)が入手し、代わりにシーボルト伊能忠敬の作った日本地図を渡したことが、シーボルト事件の発端だ。

高橋景保はこのシーボルト事件で捕まり獄死、更に遺体を塩漬けにされ斬首という極刑を受けている。

天文方とは江戸幕府の最高シンクタンクで、出島のオランダ人や、その新聞、書物から情報を得られる天文方の学者の高橋景保は1826年に既にナポレオンの本「丙戌異聞(へいじゅついぶん)」を書いていた。
ワーテルローの戦いの本「別埒阿利安戦記(ベレアリアン戦記)」も書いていたという。
しかし、1826~1828年って、既にナポレオンはセントヘレナ島で死去した後でリアルタイムじゃないんだな。
または、1812年のゴローニン事件で松前藩から捕縛されたゴローニン、その部下のロシア人から、リアルタイムでナポレオンなる皇帝が居ることが伝わったともある。
1812年はまさにロシア遠征の年だ。
しかし、蝦夷地、松前藩の話で、長崎のオランダ人に真偽を聞いても、オランダがフランスの傀儡国になっている都合の悪さでとぼけ通し、幕府もとぼけられたまま理解せず終わったとか。
出島のオランダ商館長には幕府に「オランダ風説書」を提出する義務があったが、ナポレオンのことは都合が悪いから上手く濁したんだろうな。


シーボルト事件と言い、蛮社の獄と言い、開明的な高い知識を弾圧する、鎖国しか能の無い江戸幕府はダメだな。


鎖国江戸幕府で国防を意識しだしたのは松平定信の一つ前の田沼意次


田沼意次側用人から老中になり、幕府の政治を手中にした初の人物。
やはり、田沼意次と言えば賄賂政治。

ゴージャスに取り巻きの商人から賄賂を貰っては、賄賂先の商人の都合の良い政策を行った。

賄賂からか幕府の財政を蝦夷地開発にも注ぎ込んだ。

蝦夷地とは今の北海道、樺太、千島列島。
その大部分にアイヌが住み、北海道西南のわずかな地が松前藩の所領地だった。

そして松前藩だけが幕府から公認でアイヌとの交易を許され利益を上げていた。

田沼意次の時代には既に蝦夷地近海にロシア商船があらわれては通商を求めていた。
1783年には仙台藩の医師、工藤平助が
「赤蝦夷風説考(あかえぞふうせつこう)」
でロシアの南下に対抗する国防を開拓する必要を解いていた。

蝦夷とはロシア人のこと。

田沼意次は、工藤平助の「赤蝦夷風説考(あかえぞふうせつこう)」の考えを理解し、正式に蝦夷地調査を決定。

その結果、蝦夷地は広大で肥沃な土地があり、開拓に向いているということがわかった。

賄賂政治のイメージが強い田沼意次が最近、見直されているが、金遣い荒い分、開明的な理解もあった。

しかし、松前藩は既にロシアと密貿易をしており、利益を幕府に問われると、いろいろと面倒。
この辺は薩摩藩琉球、インド洋諸国との密貿易も一緒だな。

松前藩アイヌに対して
「赤蝦夷については幕府の役人にしゃべるな。」
と脅していた。

田沼意次蝦夷地調査は松前藩の隠蔽で成果は無く費用のみ嵩んだ。

これは、田沼意次が悪いんでなく、松前藩の隠蔽が悪いな。

田沼意次が失脚した後、対照的な保守的で質素堅実タイプの老中松平定信は、蝦夷地開発を中止。

蝦夷地開発計画は頓挫した。

そんな中にラクスマンがエカチェリーナ二世の遣日使節として漂流民、大黒屋光太夫を帰国させる建前、正式に根室に来航した。

ラクスマン惜しい(笑)。

ラクスマン田沼意次の時世に来航してたら、日本にロシア文化が浸透、いや、ロシアに江戸末期から早々と北海道迄占領されただけか?

ロシアの日本来航は
ラクスマン
レザノフ
ゴローニン
プチャーチンと系譜される。

ロシアは更に惜しい事をしている。
レザノフの早死にが影響しているが、ラッコやアザラシの毛皮で利益を得ていた露米会社の拠点、アラスカに対して、ロシアより遠く離れたアラスカの維持に金がかかるだけと、レザノフの死により、アラスカ不要論が大きくなった。
レザノフは長崎から退去した後、スペイン領だったカリフォルニアのスペインと貿易の協定を組もうとしたが交渉中に亡くなり、アラスカ維持の補給などの援護の話が頓挫した。
他の競争相手はカナダのイギリスだが、イギリスとはクリミア戦争を起こす。

クリミア戦争でロシアは敗戦、疲弊し、アラスカを格安でアメリカに売ってしまうことになった。

アラスカの隣はクリミア戦争の敵国イギリス領カナダ。
カナダからアラスカに侵略されるよりはアメリカに売ってしまって、いくばくかでも金になった方がマシ、となったのだ。

しかし、アメリカにアラスカを売った途端、なんと金山が発見された。

この時のロシアの思いは(泣)。


レザノフは日本もアラスカも手放す結果となった訳だ。


第二次世界大戦末期。
1945年2月4日~11日に当時のソビエト領ヤルタで行われたヤルタ会談
アメリカのルーズヴェルト大統領、イギリスのチャーチル首相、そしてソビエト連邦スターリンの三人が参加。

スターリンは1943年11月25日の連合国の会談、カイロ会談は一応

「日本との日ソ中立条約がありますから。」

と、参加を断った。
しかし、今回は堂々と参加し、ルーズヴェルト大統領から対日参戦をお願いされた。

そう、ソ連の対日参戦はアメリカ側からの依頼なのだ。
だから、今、現在続く北方領土問題がややこしくなっている。
要はアメリカがロシアに

「火事場泥棒なんだから北方領土を日本に返しなさい!。」

と、自国から頼んだ以上、言えないのだ。
ここで140年前のレザノフの待ちぼうけの怨みが思い出される。

苦節140年、正々堂々とソ連北方領土に侵攻し、あわや北海道も獲られる勢いだった。
ルーズヴェルト大統領とスターリンの約束では

北海道の北東半分迄獲っても良い

とのことだった。
しかし、ルーズヴェルトは癌に侵されてヤルタ会談の約2ヶ月後に死去。
共産主義のスパイ、コミンテルンに洗脳されていたルーズヴェルト大統領とは違いトルーマン大統領は、共産主義の脅威を既に懸念していた。
よってトルーマン大統領になった途端、ソ連の北海道侵攻はストップさせている。
だから、スターリンルーズヴェルト大統領の次のトルーマン大統領のことを

「威厳も貫禄もない粗雑な小物が突如として大統領の地位を獲得したんだな。」

と、侮蔑し、途端にアメリカに対し不信感を抱くようになったらしい。
が、自分に都合の悪い人物だったら、そうなりますわな。

一説にはルーズヴェルトの癌は脳にも移転していて、ヤルタ会談の時はまともな思考回路じゃなかったと言われている。

お人好しにもスターリン共産主義)に国土を与えようなんて、確かに正気の沙汰ではない。
暗殺説もある。

イギリスは賢く、日清戦争でロシアが三国干渉した時に、素早く日英同盟を締結したというのに、ルーズヴェルト大統領のヤルタ会談の癌に侵された脳ミソで、樺太、千島列島をくれてやってしまった。

2020年の今、まだ、北方領土はロシアのものだ。

ラッコは今や捕獲され過ぎ絶滅寸前。
北方領土オホーツク海の昆布や蟹、シャケ、ニシン、ウニ、イクラなど日本人が大好きな海産物。
白人のロシア人は、昆布の出汁の旨味分かりません。
ロシアが北方領土の海産物を日本に高値で売って莫大な利益を得ている。
北方領土のロシア人には日本に暴利で海産物を輸出する水産マフィアみたいな連中もいるとか。
そして、北方領土オホーツク海にはロシアの原子力潜水艦がうようよ潜航している。
いざとなったら沖縄の米軍基地まで日本海から一直線。

レザノフの願い叶ったり。

ロシア側からしたらレザノフの執念、アラスカの失望、晴らしたり、なんだろな。