ゴヤの「ウェリントン公爵」の肖像
上野の国立西洋美術館で開催されているロンドン・ナショナル・ギャラリー展に
フランシスコ・デ・ゴヤの
「The Duke of Wellington」邦題 ウェリントン公爵
が展示されている。
1812〜1814年に制作された絵画で、ワーテルローの戦いの前年だな。
このウェリントン公は立派な赤い軍服に半島戦争の勲章が沢山付いているんだが、表情が、イマイチ抜けている。と、されているそう。
確かに、私の感想もあのウェリントン公爵なのに庶民の目だな、と(笑)
映画「ワーテルロー」のクリストファー・プラマーの目力じゃない。
あの映画は興行的には大失敗だったらしいが、ロッド・スタイガーのナポレオンもクリストファー・プラマーのウェリントン公爵もイメージにはピッタリで、役者では見れる映画だったけどな。
ロッド・スタイガーは「夜の大捜査線」もアカデミー最優秀主役男優賞で味わいが絶品だが、1964年の映画「質屋」も素晴らしいんだ。
映画「質屋」の内容は第二次世界大戦中、ナチスに家族で強制連行され、妻子は収容所で殺され、自分だけ生き残り、戦後はニューヨークに移住し、家族を救えなかった癒えない傷を抱かえながら質屋の主人として働くオヤジ(ロッド・スタイガー)の話。
この心の傷を持つ、陰りのある、ひねくれたオヤジっぷりが絶品なんだな。
最後、色々あり、またもや人を救えなかった自分を責める、自責の念の顔だけで演技する場面がある(この映画の見せ場)そのロッド・スタイガーが凄い。
モノクロの淡々としたつまらない映画なんだがロッド・スタイガーの顔だけの名演技が、先にあった。
映画「ワーテルロー」でも、最後、敗戦し部下のネイ元帥から
「プロメテウスのように鎖で岩に繋がれますぞ」
と、ネイ元帥の心の叫びを眼力だけで責められる敗戦ナポレオンのロッド・スタイガーの情けない表情が、凄い。もはやナポレオンじゃなくなっていた(笑)。
逆にクリストファー・プラマーは端正で典型的な貴族の威厳や風格を伝える俳優だな。
「サウンド・オブ・ミュージック」でもトラップ大佐は貴族だったが、貴族の威厳、風格を醸し出すのが絶品の役者だと思う。
その、貴族の威厳、風格がゴヤのウェリントン公爵の肖像には無い(笑)
作者ゴヤの意図は
半島戦争で疲れ果てた覇気の無い表情に反戦の意味を込めた
とされているようだ。
スペイン人の画家だから自国の内戦に外国人が介入した、イギリス人最高司令官に対し、辛辣さというか反発も込めたのかも知れない。
ゴヤには半島戦争の戦争画「マドリード、1808年5月3日」があるが
やはり、ウェリントン公爵の目が死んでいるのは、戦争にも、外国人の介入にもアンチの意が込められているのだろうと思う。